(月刊「丸」・昭和49年12月号収載)
昭和十六年十二月八日、目標のアメリカ船に向け、伊号第二六潜水艦から最初のオーバー(警告の遠弾)が放たれた。艦長より見張員にたいし、飛行機に十分注意するようにとの指令がでていたが、見わたすかぎりの海と空には、米船のほかはなにもいない。自然と目はいっせいに弾道をおう。やがてそれは、米船のむこう側に水柱をたてて落下する。本艦は微速で、米船との距離をつめていく。
米船は潜水艦の浮上と砲撃に、いそいで停船をしたらしい。二番マストに船名らしい旗旈信号をあげた。さっそく航海長が、万国船舶信号書と照合し、米陸軍輸送船シンシア・オルソン号であることがわかった。
波間に響くSOS
そのうちに敵船では、二隻の救助艇をあわただしくおろしはじめているのが見える。距離も二〇〇〇メートルくらいになってきたので、七倍眼鏡により船上のようすが手にとるようにわかり、小型船のわりに、たくさんの乗員が走りまわっていた。
当然かれらは米国放送によって、日本との開戦を知っており、浮上した潜水艦をおそらく日本海軍のものとみとめたもの、とわれわれは思っていた。艦長としても、足の長い飛行艇の来襲があるものと予想しての戦闘開始であった。