話の肖像画

歌手・石川さゆり<23>ひばり節、島倉節、そして「さゆり節」

島倉千代子さんの告別式で弔辞を読む歌手の石川さゆりさん=2013年11月14日午後、東京都港区の青山葬儀所
島倉千代子さんの告別式で弔辞を読む歌手の石川さゆりさん=2013年11月14日午後、東京都港区の青山葬儀所

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《平成元年、「風の盆恋歌」でNHK紅白歌合戦の〝大トリ〟を務めるなど苦難を乗り越えた。誰もが認める〝大物歌手〟に成長したが、同じ年の6月24日に悲しい別れ、大先輩・美空ひばりさんが逝った。享年52》


あるとき、地方公演から直行してひばりさん宅(東京・目黒)にお邪魔させていただいたんです。(息子の)和也くんに案内され、ひばりさんが2階に寝てらした。それがお別れになってしまって…。以前はよくお宅に伺い、お会いするたびに、「この前、テレビ見たわよ」「この間のあれ、すごく良かったわよ」という言葉が励みになりました。本当によく気遣っていただきました。


《初対面は強烈?! ひばりさんからの〝呼び出し事件〟の真相は…》


それはね、当時「コロムビア大行進」という番組がありました。正月などに放映されるんですが、渋谷公会堂とかで公開録画してその後、ホテルで打ち上げを兼ねたパーティーをやっていた。新人はそのとき、みんなの前に並んで挨拶をする。立食なんですが、1つだけテーブルがあった。そこに当時の社長とひばりさんとひばりさんのお母さまの3人だけが座っていたんです。ほとんどの新人が「頑張ります」なんて普通に言っているとき、私がちょっと違うしゃべりをしてしまった。

「ひばりさんは、ひばり節があって、島倉(千代子)さんには島倉節があって、(都)はるみさんには、はるみ節がある。皆さん、すごくすてきな先輩がいらっしゃる。自分も早く、さゆり節を歌えるようになりたいです」って言ったら、「いらっしゃい!」ってなったんです。

ひばりさんとひばりさんのお母さまの間に1つ椅子が入って。新人ですよ、みんな「えー」って感じで見てる、社員も歌い手も…。でも「いらっしゃい」といわれたんで、そこにちょこんと座ったんです。

「さゆりちゃん、さっきはすごくいいお話だったけど、さゆり節ってのは、どんなの?」と言われた。「それは、自分でどんなのということじゃなく、歌を聞いてくれるファンの皆さんが、早くそういうふうに言ってくれるように頑張ります」と言ったら「あら、そう、頑張ってね」って笑っていらした。

周りは「あんなところに新人が座りやがって」「早く立て、立て」という視線だったんですが、分かんないじゃないですか、まだ中学生ですよ。ひばりさんが話されて、ふんふんと聞かれるからお話をしました。いじわるではなく、きっと「面白い子が出てきたな」って思われたんでしょうね。


《石川さんの50年という時の流れ…。その後、憧れの島倉千代子さんも逝った。平成25年11月8日、享年75だった》


島倉さんには姉妹のようにお付き合いをさせていただいた。妹にしかできないことをやらせていただいた。ポワ~ッとしているように見えますが、芯の強い方でした。例えばドアが開くと、「しま、くら、です」と柔らかい口調ですが、閉まった瞬間、ものすごくシビアになる。「さゆり、ダメだよっ」と厳しい口調になる。

風が吹いたら、アアアア~って倒れるようなイメージに映っているかもしれませんが、実際は本当にいろんなことがおありだったのに、すべて受け止めてきた。男前な性格なところがたくさんありましたね。

子供のころ、熊本で初めて島倉さんのショーを見たとき、紫の着物を着ていらしたという話をしたら、紫の着物をプレゼントしてくださったんです。そのときのものではないと思いますが、今では私の大切な宝物です。葬儀のときの送る言葉でも話しましたが、「あなたはつけまつげをちゃんとつけた方がいい」と言われ、本当につけてくださったり、お化粧の仕方も一から教えてくださった。亡くなった日、お寺に伺ったんです。もう涙が止まりませんでした。(聞き手 清水満)

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