再考・犯罪被害者

<特報>時速194キロ、危険運転ではないのか 遺族が動かした異例の訴因変更

小柳憲さんが運転していた車。事故で大破した(遺族提供)
小柳憲さんが運転していた車。事故で大破した(遺族提供)

憲ちゃんが亡くなった-。訃報は突然やってきた。

令和3年2月9日午後11時ごろ、大分市内の県道交差点。右折する車に、対向車線を直進してきた1台の乗用車が衝突した。いわゆる「右直事故」。右折車を運転していた会社員、小柳憲さん=当時(50)=がこの事故で死亡した。衝突直前の直進車の走行速度は時速194キロ。法定速度(60キロ)の3倍を超えていた。

「なんで弟が…」。事故から半日後、小柳さんの姉は、棺に横たわる弟と対面した。顔にはほとんど傷がなく、「事故に遭ったとは思えないほど、いつもの穏やかな表情だった」。ただ頭部以外はすべて包帯でくるまれていた。「辛い思い出が残るから見ない方がいい」。受傷の程度が書かれた死亡診断書でさえ、見るのを制された。

大分県警から受けた説明によると、小柳さんは事故当時、シートベルトをしていたが、衝撃でベルトが切れて車外にほうり出され、後続車の近くに倒れているところを発見された。肋骨(ろっこつ)や骨盤など全身に多数の骨折があった。死亡確認は約2時間半後。「最期を迎えるまで、どれほど苦しかったことか…」。想像を絶したであろう弟の痛みや苦しみを思い、姉はただ涙を流すことしかできなかった。

直進車を運転していた当時19歳の元少年は調べに「何キロ出るか試したかった」と供述したという。大分県警はこうした事情も踏まえ、元少年の運転が、自動車運転処罰法が定める危険運転致死罪の適用要件である「制御困難な高速度」に当たると判断。事故から2カ月後に元少年を同容疑で書類送検した。

姉も当然、同罪で起訴されるものと期待した。だが大分地検は翌年7月、過失運転致死罪で元少年を在宅起訴した。遺族には「直線道路で走行を制御できていた」などと説明し、「制御困難」に当たらないとの見解を示した。

高速度走行(自動車運転処罰法2条2号)その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為

「一般道を時速194キロで走るのが危険運転でないのなら、一体どんな運転が危険運転になるのか」。姉は思わず本音をぶつけた。だが、担当検事は「捜査の結果、危険運転の立証には至らなかった」と答えるのみだった。

「前代未聞の高速度。家族にも見せることができない身体の損傷。原形をとどめないほど大破した車。危険運転致死傷罪は生命の尊厳を守るために創設されたはずなのに、こんな理不尽なことがあってもいいのでしょうか」

姉はそれ以降、地検に翻意を促そうと奔走した。令和4年8月には記者会見を開いて危険運転致死罪の適用が見送られた理不尽さを訴え、同罪への訴因変更を求める上申書を地検に提出。翌月には犯罪被害者の自助グループ「ピアサポート大分絆の会」(大分県国東市)の支援も受けながら、地検に補充捜査を求める署名活動を行い、全国の賛同者から集まった約2万8千筆を10月に提出した。

小柳憲さん(遺族提供)
小柳憲さん(遺族提供)

「弟の無念を晴らしたい」。その一心で続けた地道な訴えは11月、ようやく実を結ぶ。地検と県警が当時の事故状況を再現する補充捜査を実施。わずか2週間後の12月1日には地検が危険運転致死罪への訴因変更を大分地裁に請求し、同月20日に認められた。

「声を上げなければ過失運転で終わっていた。ほっとしました」。姉は訴因変更の知らせに安堵(あんど)の言葉を口にした。

事故は今後、裁判員裁判で審理される。「裁判をしたからといって弟の命は決して戻りません」。それでもようやく、スタートラインに立てた気がする。「真っ当な判決が言い渡されてほしい。望むことはそれだけです」。初公判の日を静かに待っている。

「常識」と乖離する司法

「被告人の運転が常識的にみて『危険な運転』であることはいうまでもない」

小柳さんの事故から間もない令和3年2月中旬。名古屋高裁は、三重県津市の国道で時速146キロの自動車がタクシーに衝突し、乗客ら4人が死亡、1人が負傷した事故で、被告に判決を言い渡した。

制限速度の2・5倍近い異常なスピードで高級車を駆り、車の間隙を縫うように車線変更を繰り返していた被告。「あたかも自分一人のための道路であるかのごとき感覚」。高裁判決はこんな非難の言葉を並べながら、それでも1審津地裁と同様、危険運転致死傷罪の成立を否定した。

市民感覚と司法判断がここまで乖離(かいり)するのはなぜか。それは同罪が不注意を罰する過失犯ではなく、故意犯であるところに大きな要因がある。

同罪の故意とは、自分の運転行為が法の定める「危険運転」の類型に当たることを認識しながら、あえてそのような運転をしたということ。条文の文言を知っている必要はないが、「制御困難」の要件の場合は、高速度走行の一般的な危険性の認識では足りない。

津市のケースでは、わずかなミスで自分の車を進路から逸脱させるような状況を「具体的な可能性として現実に頭に思い浮かべていたことが最低限必要」(津地裁判決)と判示され、被告にこの認識がなかったとして故意が否定された。事故前に百数十キロで走行しながら複数台の車両を追い抜いたことを「特段の支障なく進行した」と被告に有利な事情とみた。

大分の事故現場は、その幅員から「40メートル道路」と呼ばれる直線道路。スピードを出しても比較的コントロールしやすい場所といえ、大分地検が当初、危険運転致死罪の適用を見送る一因になったとみられる。

もっとも同罪の適用を巡っては、司法判断も揺れている。大分地検が補充捜査で訴因を切り替えたことも、要件解釈が定まっていないことの表れとみることもできる。(桑村大)

過失では済まされないような危険な運転を厳しく罰するため、世論の後押しを受けて制定された危険運転致死傷罪。しかし厳罰ゆえに検察や司法が適用に慎重になるケースが相次ぎ、被害者遺族の無念は宙をさまよう。同罪を取り巻く課題を検証する。

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