小林繁伝

波乱の契約更改「僕が辞めるか、常務が辞するか」 虎番疾風録其の四(148)

大洋戦で完投勝利を収めた巨人の小林=昭和52年8月5日、川崎球場
大洋戦で完投勝利を収めた巨人の小林=昭和52年8月5日、川崎球場

昭和51年12月中旬、ようやく巨人の契約更改が始まった。期待に胸を膨らませる選手たち。だが、期待は大きく外れた。22日、淡口が40%アップの660万円(推定)を保留。憤然とした表情で会見に臨んだ。

「まったくお話になりません。成績とV1達成を考えあわせて、希望に近い額を出してもらえるんじゃないかと思っていたんですが、とんでもなかった」

日本シリーズ第6戦の3ランなど、ここ一番で印象に残るホームランを放った淡口だったが、シーズンは規定打席に足らずに打率・298、10本塁打、39打点。狙っていた倍増の900万円にはほど遠い金額だった。

翌23日には柴田が保留した。柴田の場合は金額ではなく、トレード要員になっていることへの不満だった。実はこのオフ、優勝の立役者・加藤初が胸膜炎で倒れた。回復具合によっては来シーズンも危ういという。巨人首脳は「10勝級投手」の獲得に動き、日本ハムの高橋直らが候補に挙がった。当然、見返りも大きい。日本ハムは「柴田」を要求していたのだ。

「本当にトレードがあるのか?」。柴田は返答をもらえなかった。他にも高田や吉田たち主力選手が契約を保留。越年していく。小林も例外ではなかった。

小林は自信を持って交渉に臨んでいた。長嶋巨人を初優勝へ導いたのは自分である―という自負もある。18勝(8敗2S)も防御率2・99もリーグ2位の好成績。投球回数も初めて200イニングを超える217回⅓。1シーズン大きな故障もなく、先発に、救援に―とフル回転で働いた。球団も「よく頑張った」と働きを認めた。だが…。

「当時、ボクは780万円もらっていた。目標は最低でも1千万円アップ。ところが、提示された金額を見て、これは何かの間違いだろう―と思った」

提示額は500万円増の1280万円。2度目の交渉でも提示額は変わらない。小林は越年した。

52年1月19日、3度目の更改交渉。変わらぬ球団の姿勢に小林は交渉相手の佐伯常務へ〝捨て台詞(ぜりふ)〟を吐いてしまったのである。

「よーく分かりました。でもボクは1円でも上がるまで諦めませんよ。ボクが野球を辞めるか、常務が職を辞するか―のどちらかですね。ボクはそれだけの覚悟で交渉しているんです」

頭にカーッと血が上るとつい…。小林の悪い癖である。(敬称略)

■小林繁伝149

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