(月刊「丸」・昭和49年12月号収載)
伊号第二六潜水艦が横須賀を極秘出港した翌日の昭和十六年十一月二十日、もう内地の山やまは見えず、見わたすかぎりの大海原がひろがる。艦首にかぶる波がカタパルトにくだけて、艦橋までしぶきとなって飛んでくる。
わが伊二六潜は、アリューシャン列島のアッツ島へ、ぴたりと針路をあわせている。さっそく、三直哨戒による急速潜航訓練が行なわれた。これには艦長みずからが指導にあたり、目にみえて訓練の成果は上昇していった。
三日もたつと、急速潜航秒時も艦隊で錬成された同型艦にもおいつき、さらに艦内の応急処置訓練も行なわれ、戦闘即応の態勢はさらに充実されていった。
隠密偵察
北洋に近づくにつれて、艦橋での当直は日一日と寒くなり、防寒具をつけるようになった。このように着ぶくれすると、艦橋への昇降がきわめて不便だった。当時の潜水艦には最近の艦のような給気装置がないので、ほとんどの給気は、艦橋のハッチや司令塔、発令ハッチをへて機械室へおくられる。そのため、司令塔、発令所でも、水上航行中は防寒服をきる者が多くなった。