鑑賞眼

ワシに連れ去られた子と母の再会を清らかに 文楽「良弁杉由来」

良弁僧正(吉田玉男、左奥)と30年ぶりに再会した渚の方(吉田和生)は、人目もはばからず涙を流して喜び合う=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)
良弁僧正(吉田玉男、左奥)と30年ぶりに再会した渚の方(吉田和生)は、人目もはばからず涙を流して喜び合う=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)

古典芸能に、生き別れになった親と子の悲劇の物語は数多い。能の「隅田川」、文楽や歌舞伎の「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」「傾城阿波(けいせいあわ)の鳴門(なると)」…。ほとんどの場合、子はすでに死んでいるか、再会したときが今生の別れとなる。そうした中で珍しく幸せな結末を迎える作品が25日まで大阪・国立文楽劇場で上演されている「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)」だ。

東大寺の良弁僧正は幼い頃、鷲(わし)にさらわれ、同寺の二月堂にある杉の大木の梢(こずえ)に運ばれて当時の僧正に助けられた。以来、30年。高僧となった今も、杉の木に毎日手を合わせ感謝の気持ちを忘れない。

突然空から現れた鷲に襲われる光丸。周りの腰元たちはただ驚くばかり=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)
突然空から現れた鷲に襲われる光丸。周りの腰元たちはただ驚くばかり=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)
光丸を鷲にさらわれ、「返せ、戻せ」と追いかける母、渚の方(吉田和生、中央)と腰元たち=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)
光丸を鷲にさらわれ、「返せ、戻せ」と追いかける母、渚の方(吉田和生、中央)と腰元たち=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)

〈空なつかしき杉木立、御手にかかる露涙、水晶の玉さらさらと、いと殊勝なる御祈念…〉

竹本千歳太夫(ちとせだゆう)の語る浄瑠璃が良弁の情けに満ちた人となりを映し出す。

やがて、ひとりの女が東大寺にたどり着く。鷲にさらわれたわが子を探し続け、いっときは心を乱した母、渚(なぎさ)の方(かた)。30年という歳月は、美しかった容貌を白髪まじりの老いた姿に変えていた。

わが子をさらわれた母、渚の方(吉田和生)は行方を探し続け、心を乱し大坂・桜の宮あたりをさまよい歩く =大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)
わが子をさらわれた母、渚の方(吉田和生)は行方を探し続け、心を乱し大坂・桜の宮あたりをさまよい歩く =大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)

高僧となった子と老いて落ちぶれた母。再会の瞬間は劇的で清々(すがすが)しい。

〈「そんならあなたが」「そもじが」と見合わす顔にはらはらはら…〉

渚の方を遣(つか)う人形遣い、吉田和生(かずお)は言う。

「生き別れた母子が苦難の末に再会するというストレートな話です。文楽によくある、お家乗っ取りや陰謀などはない。シンプルだからこそ親子の情愛が真っすぐ心に入ってくるのではないでしょうか」

良弁僧正は実在の人物である。

飛鳥時代の689年、相模の国で生まれ、義淵(ぎえん)僧正らに学び、聖武天皇を支え、東大寺の創建に尽力したといわれている。その前半生はよく分かっていないが、説話集などに、鷲にさらわれた記述がある。

「良弁杉由来」は、そういう伝承をもとに作られた作品で、明治20年に大阪で初演。名人、豊澤団平の作曲であった。

新しい浄瑠璃でありながら、優れた節付け、登場人物の身分の高さなどから重く扱われ、文楽史に残る名人、豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)(1878~1967年)が昭和34年の引退興行で勤めたことでも知られている。

千歳太夫は「何より品格が大切です。また、良弁僧正は高僧であっても、30代の若さであることを意識して勤めています」と明かす。

東大寺の二月堂の杉の大木の前で、生き別れになっていた母子はついに再会を果たす=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)
東大寺の二月堂の杉の大木の前で、生き別れになっていた母子はついに再会を果たす=大阪市中央区の国立文楽劇場(南雲都撮影)

近年長らく、初代吉田玉男(1919~2006年)の良弁、吉田文雀(ぶんじゃく)(1928~2016年)の渚の方で演じられてきた。名品ともいうべき演技で、母子の再会のドラマを清らかに描き上げた。

今は2人のそれぞれの一番弟子で、現在の文楽の第一線で活躍する二代目吉田玉男と吉田和生が、その芸を引き継いで勤めている。

玉男は「高僧ということもあり、動きがほとんどない。ほんの微妙な動きで気持ちを表現しないといけない」と言えば、和生は「一番難しいのは、物狂いだったのが、水面に映る自分の姿を見てハッと正気に戻るところ」という。

かつて、名人の吉田文五郎(1869~1962年)が渚の方を勤めた際、左遣いを若き日の文雀、足遣いを吉田玉五郎(1910~1996年)が担った。母子の再会の場面。文雀は、足遣いの玉五郎が涙を流しているのを見たという。「それぐらいの舞台を作れたらいいですね」と2人は声をそろえる。

今年は良弁僧正が亡くなって1250年。東大寺の開山堂には良弁僧正の坐像(ざぞう)が安置されている。その清らかな姿は、今作の慈愛に満ちた良弁僧正にそのまま重なる。(亀岡典子)

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