(月刊「丸」・昭和49年12月号収載)
日本時間の昭和十六年十二月八日の〝〇三三〇〟は、すでに決定された戦闘開始時刻であった。そのためハワイ諸島周辺をはじめ、作戦行動中の全部隊は日本時間をつかい、時差には関係なく、開戦の日をむかえたのである。
伊号第二六潜水艦ももちろん、内地(横須賀)出撃の日より日本時間で行動し、はじめのうちはいささかとまどうこともあったが、開戦の日が近づくにつれて、すっかりなれてきていた。いよいよ明日八日は開戦という夜半、そぼ降る小雨のなか、東太平洋の配備点近くを南下していた。
そのとき前方の水平線に、かすかな白灯一個を艦橋前方の見張員が発見した。そっと忍びよっていくと、すべての航海灯をつけて西航する小型貨物船のようである。無灯の潜水艦には、気づくはずもない。しばらくのあいだ、ひそかに追跡してみると、約一〇ノットでハワイに向かう針路をとっており、まずアメリカ船にまちがいはないようである。
伊二六潜は北側はるかに迂回して、その船の前程に進出する行動をおこした。狙われているとは知るよしもないアメリカ船の灯りは、だんだんと遠ざかり、ついには見えなくなってしまった。
東太平洋のまっただ中でむかえた開戦前夜は、三直哨戒配備の水上警戒航行であっても、ぴーんとした緊張に包まれていた。私も当直をおわったばかりの非番であったが、なぜか目がさえて眠ることができない。