(月刊「丸」・昭和51年10月号収載)
実戦用兵器を積んで何処へ
その日は朝から、横須賀の街や山は、霧のような小雨でけむっていた。そして海上はかなりシケていて、襲いかかった波が、港内に在泊している艦艇の舷側で白いしぶきをあげていた。
昭和十六年十一月二十一日、われわれを乗せた伊号第二五潜水艦は、なにげなく母港を旅立ったのであるが、その旅先はこの霧雨がしめすように厚いベールでおおわれていたのである。
積み込まれた乗員の糧食ときたら、通路までいっぱい。伊号の大型潜水艦でさえも、長期行動の三カ月分ともなると入れるところがない。カン詰めのうえに板を敷き、そのうえを歩く始末である。
いうまでもなく、燃料の重油や飲料水の真水は満載だ。それにいつもなら、訓練用の魚雷なのに、実用頭部のついた実戦用の魚雷を積み込んだうえに、防寒服から防暑服まで積み込んだのだから、まったくもってどこへゆくのか見当がつかない。