7点のリードを守り切れなかった阪急の山口を、当時のマスコミは「不思議な投手」と呼んだ。上田監督は首をひねり、真面目な顔をしてこう言った。
「タカシの中にはな、胸のすくような痛快な投球をする男と、とんでもなくもろい山口が棲んでるんや。ホンマやで」
まるで〝妖怪〟のようだ。
◇第6戦 11月1日 後楽園球場
阪急 200 230 000 0=7
巨人 000 023 020 1x=8
(勝)小林2勝1敗1S 〔敗〕山田1勝2敗
(本)ウイリアムス①(加藤)淡口①(山口)柴田②(山田)
第6戦、山口の投球を検証してみよう。ネット裏で観戦していた南海の野村監督は「ポイントは六回の投球にある」という。この回、山口はいきなり高田、吉田に連続四球を与え、1死後、淡口に2―0と追い込みながらストライクのフォークボールを投げて右翼へ3ランされた。ノムさんも首をひねった。
「なんで速球を投げんのや? 5点差を追いかける巨人は走者をためたい。だからベンチから打者へのサインは〝待て〟や。バッテリーはどんどん速球でストライクを取り、追い込めばいい。なのにカーブ、カーブ。しかも、すべて高めに浮いたボールで四球。わからんわ」
そして淡口に打たれた1球についても「山口の武器はストレートや。なのになんで追い込んでフォークボールを投げるんや? ボールになる球ならまだしも、ストライクコースに投げて打たれた。理解に苦しむで」
誰もが山口のコントロールのなさにあきれた。
翌昭和52年、阪急は2月の高知キャンプに、若きノーラン・ライアンを剛速球投手に育てたという名コーチ、トム・モーガンを〝臨時コーチ〟に招き、山口の投球フォームの矯正を行った。その結果、ノーコンの原因が判明した。
①腕の振りに比べて左肩の開きが早い
②肩の力が強すぎ、体が左へ流れる
③投球の際に左腕を高く差し出し過ぎ。だからボールが縦割りになる
モーガンコーチは「もっと低く左肩をクロスさせるように三塁方向へ出せば、ボールは左右に割れ、武器として使えるようになる」と指導した。さすがモーガンである。
さて、51年の「日本シリーズ」もいよいよ大詰め。第7戦までもつれ込んだ。下馬評は一転、『巨人有利』となった。(敬称略)