7月に安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した事件後、宗教をめぐる日本の政界と社会の雰囲気が一変した。銃撃した容疑者の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する強い恨みが犯行の動機であったと報じられて以降、旧統一教会の具体的な違法行為や社会通念から著しく逸脱した行為に対する批判のみならず、宗教的価値観を基準に生きていくことに対する蔑視や揶揄(やゆ)が強まっている。
特に宗教とマインドコントロールを結びつけた非難に危惧を覚える。筆者はプロテスタントのキリスト教徒で、同志社大学神学部と大学院で組織神学(キリスト教の理論)を学んだ。現在も神学研究を続けている。カトリック教会、プロテスタント教会、正教会のいずれにおいても、生殖行為を経ずに生まれたイエスが十字架にかけられて葬られ、3日後に復活したと信じられている。このような信仰内容は自然科学的知見に反する。ある意味、キリスト教徒は処女降誕、死者の復活というマインドコントロール下に置かれた人たちなのである。
旧ソ連では、このような科学的知見と矛盾する信仰を親が子に伝えてはならないと、家庭内での宗教教育が禁止された。共産党体制下のソ連では国家が「宗教2世」を根絶しようとしたのだ。しかし宗教者はさまざまな方策で家庭内での信仰を継承した。共産党体制が崩壊するとともに旧ソ連を構成した15の共和国で宗教がよみがえった。