お好み焼きのソースで全国に知られる「オタフクソース」(広島市西区)。グループ企業全体で粉や天かすなど、お好み焼き関連の食材を扱うメーカーで、今年で創業100周年を迎えた。関西で一般的なお好み焼きが具材を混ぜて焼くスタイルなのに対し、広島のお好み焼きといえば、野菜や肉、麺などを重ねていく焼き方が浸透している。当然、オタフクも重ね焼きを推進しているかと思いきや、実は家庭向け商品では、20年以上前から混ぜ焼きにかじを切っていた。
呼び方は常務会の議題に
まずは呼び方から確認する。
「社内でも、広島のお好み焼きを何と呼ぶのかは永遠のテーマ。常務会でも議題になったほどです」
オタフクソースのお好み焼館館長、新本顕三さん(52)はこう話す。
新本さんは「混ぜ焼きのお好み焼きはお好み焼きと呼ばれるのに、広島のお好み焼きを広島風や広島焼きと呼ばれるのは、心外な部分がある」。これまでの議論の中では、広島流と呼ぶという案もあったが、今は、社内では混ぜて焼くのが「お好み焼き」で、重ねて焼くのは「広島お好み焼き」と呼んでいる。
広島県には、平成28年の調査でお好み焼き店が約1600店あり、広島市内だけでも約900店。人口当たりのお好み焼き店数もトップクラスだ。
薄い生地の上に、千切りにしたキャベツ、天かす、ネギや肉、卵を重ねていく職人技も、飽きさせない秘訣(ひけつ)かもしれない。
昭和60年代に全国へ
広島でお好み焼きが広まったのは、昭和20年代。大正から昭和初期に西日本で広まった、溶いた小麦粉にネギなどを乗せて焼いた一銭洋食から進化したという。
オタフクソースは、大正11年に創業、もともとはしょうゆ類の卸などを行う佐々木商店から始まり、昭和27年にはお好み焼き用ソースの販売を開始した。32年には初の家庭用お好みソースを発売するなど業績を伸ばし、50年には現在の社名に変更、今年創業100周年を迎えた。
オタフクが全国展開を始めたのは昭和60年代に入ってからだった。
平成4年に入社した新本さんは、入社直後から東京で約15年間営業を担当した。当時の東京では、オタフクソースも広島お好み焼きも認知度が低く、スーパーなどの店頭に鉄板を持ち込んで、作り方を紹介しながらソースを試してもらった。「広島のお好み焼きを全国に普及させる使命感を持ちながら営業していた」という。
しかし、平成10年、社内の風向きが変わる。
グループ企業のお好みフーズと協力し、家庭でも簡単にお好み焼きが食べられるよう、お好み焼き粉を具材と混ぜるだけで焼くことができる「お好み焼こだわりセット」を全国で発売したのだ。セットにあわせてソースも購入してもらおうという狙いがあった。
その際、具材を重ねて焼く広島のお好み焼きは、家庭で作るのにはハードルが高いと判断されたが、これには「広島のお好み焼きを全国に広めようという、私たちの魂を売るのか!」と社内のセールスマンたちから反発の声も上がったという。
G7焼きも開発中?
しかし、こだわりセットは関東では、オタフクの知名度を獲得するよい機会となった。一方、すでに家庭でお好み焼きを焼く文化が定着していた関西では、あえてセットを必要とされなかったのか、売れ行きは芳しくなかったという。
「大阪では、10年20年のもっと長いスパンで、オタフクの良さを知ってもらわないといけませんね」と新本さんは苦笑する。ただ、広島県内の土産物店などでは、生地が引きやすく工夫された粉が入った広島お好み焼きのこだわりセットも販売中だ。
広島のローカルメーカーから全国展開にかじを切ったオタフクは今、世界にも目を向けている。新本さんは「お好み焼きは具材に何を使ってもいいので、宗教的に特定の食材を食べられない方にも対応しやすく、小麦粉やキャベツなど全世界で手に入りやすい食材が使われている。自由度が高いのが特徴です」といい、海外に出店する業者の支援にも力を入れる。
来年5月に広島市で開かれる先進7カ国首脳会議(G7サミット)を広島お好み焼きをPRするチャンスと捉えており、新本さんはお好み焼き店やソースメーカーなどでつくる「お好み焼アカデミー」で協力し、「G7焼きとして各国の食材を使い、みなさんに持ち帰ってもらえるレシピを開発中です」と話している。(藤原由梨)