日本の防衛力の歴史は、浮かんでは消えるキャッチフレーズの歴史でもある。「基盤的防衛力」「多機能弾力的防衛力」「動的防衛力」「統合機動防衛力」「多次元統合防衛力」―。防衛官僚や自衛官ですら名前を言い間違えたり、いつ登場したコンセプトなのか答えられなかったりすることは珍しくない。
しかも、防衛力に関するコンセプトは「未達成」の積み重ねでもある。例えば、平成25年に改定された「防衛計画の大綱」で掲げられた統合機動防衛力は、南西諸島有事の際に全国8カ所に配置された陸上自衛隊の機動師団・旅団が沖縄に機動展開する運用構想を柱としている。
30年ごろ、陸自幹部はわが目を疑った。沖縄県外の機動師団・旅団が作成した機動展開に関する計画を読むと、沖縄本島に移動した後の待機場所として那覇市の那覇訓練場を指定していた部隊が3個もあったのだ。那覇訓練場には3個部隊を受け入れるスペースはない。担任部隊に問い合わせると、「そこしかありません」という答えが返ってきた。