話の肖像画

作詞家・松本隆<9> 時代捉えた「木綿」…京平さんと大ヒット

標準価格が掲示されたトイレットペーパー。オイルショックの影響で買い占めが発生した=昭和49年
標準価格が掲示されたトイレットペーパー。オイルショックの影響で買い占めが発生した=昭和49年

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《松本隆さんと筒美京平さんの黄金コンビによる初のヒット曲となった太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」。松本さんは長い詞を書き、「この詞に曲はつけられないだろう」と言い放ったという有名な伝説があるが、この話については、本人が「そんな失礼なことを言うはずがない」と否定した。ただ、筒美さんが困ったというのは事実だった》

京平さんは最初に詞を見たとき、「こんな長い詞に曲つけられない」とぼやいたそうです。詞を縮めてほしいと言いたかったらしいのですが、夜中だったし、担当ディレクターがつかまらなかった。当時は携帯電話なんてない時代ですから、しかたなく曲を作り始めたそうです。すると、明け方には曲ができあがってしまった。「ものすごくいい曲ができた」と京平さんはあちこちに電話をかけ、上機嫌になったそうです。

ただ、担当ディレクターとしては、「木綿のハンカチーフ」はシングル曲ではなくアルバム用として考えていたようで、僕と京平さんは「シングルで出したほうがいい」とプッシュしましたが、なかなか「うん」と言ってくれませんでした。「長い曲」だからテレビで歌いにくいというのがネックだったと思います。テレビで歌われないと売れませんから。

でも結局、シングル曲として発売されることになり、大ヒットしました。

《同曲は太田さんの4枚目のシングル。昭和50年12月に発表されたアルバム「心が風邪をひいた日」に収録されていた曲で、アルバム発表後、間もなくシングルで発売された。翌年のオリコンチャートで年間4位(1位は子門真人さんの「およげ!たいやきくん」)を記録し、累計売り上げは85万枚超という大ヒットとなった。太田さんはこの年のNHK紅白歌合戦に初出場し、この曲を歌った》

後に知りましたが、実は太田裕美さんの所属事務所「渡辺プロダクション」の社長、渡辺晋さんは当初、「こんな曲が売れるのか?」と「木綿のハンカチーフ」に難色を示したそうです。でも、みんなの予想を翻(ひるがえ)し、曲がヒットしてからは、渡辺晋さんも、京平さんと僕のコンビに信頼を置いてくれるようになりました。

《「木綿のハンカチーフ」の歌詞は4番まであり、ある地方から東京を思わせる都会に出た男性と故郷に残った女性の遠距離恋愛をテーマとしている。当事者の男女が手紙を交換するかのように、交互に言葉を交わす形式でストーリーが展開するという、当時の歌謡曲では前例がない斬新な手法だった。結局、登場する男女は破局を迎え、4番の歌詞で、女性が「最後のわがまま」として、涙を拭く「木綿のハンカチーフ」を贈りものにくださいとお願いする。この曲がなぜ人々の心をとらえたのか、松本さんは語る》

ひとつには、時代に合った、ということがあったのではないでしょうか。木綿は、さまざまな生地の中でもいちばん素朴。高級なシルクでも、使いやすい合成繊維でもない。でも、そういったなんでもないものにこそ価値がある。そんなメッセージを感じてもらえたんじゃないかなと思います。

あのころは田中角栄さん(当時の首相)の「日本列島改造論」(47年)で世の中は上昇志向で動いていて、どこか浮かれたところがありました。そこへ第1次オイルショック(48年)があり、みんなへこんだ。トイレットペーパーの買い占め騒動を覚えていらっしゃる方も多いと思います。当時、僕自身もけっこう打撃を受けたんです。「はっぴいえんど」の末期、オイルショックによるビニール不足でレコードが作れない、という状況に陥りましたから。そんな世相でした。(聞き手 古野英明)

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