一聞百見

日本が目指すべき「スポーツトレーナー大国」の道…「The StadiuM」社長 山田晃広

自身の夢について語るプロスポーツトレーナーの山田晃広さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)
自身の夢について語るプロスポーツトレーナーの山田晃広さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)

世界最高峰のサッカー・スペインリーグで最も成功を収めた日本人といえるかもしれない。今は、自身の豊富な経験を基に、スポーツトレーナーの養成と、中学・高校の部活動に専門のトレーナーを配置する取り組みに力を入れる。確かな技術があって、研究熱心で、気が利いて…。ある意味、日本のものづくりに共通するような資質が重要視されるスポーツトレーナーの世界。「The StadiuM」社長の山田晃広さん(48)は「日本はスポーツトレーナー大国になれる」と断言する。

日本初の専門養成講座立ち上げ

インタビューに応じる山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)
インタビューに応じる山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)

「山田さんがすごいのは分かった。で、おいしいスープ、おいしいラーメンをつくって、自分の店の客だけに食べてもらったらいいという人生を送っていくのか、それとも『山田ラーメン』というチェーン店をたくさんつくって、同じ味をたくさんの人に届けたいのか、どっち?」

ある投資家の問いかけの言葉が、強く心に刺さった。「スポーツトレーナーには職人かたぎの人も多いのですが、もう速攻で、チェーン展開の方だと思ったんです」と振り返る。

ちょうど、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」に名を連ねる選手たちのコンディショニングの仕事が一段落したタイミング。これまでに自身が培ってきた一流のスポーツトレーナーとしての技術やノウハウをマニュアル化するとともに、講演依頼などを引き受けていく中で、「できるんじゃないか」との思いが強くなった。

「Jリーグとか、なでしことか、ワールドカップとかオリンピックとかスペインリーグとかを含めて、僕の後ろに人がついてきているわけじゃない。自分で突っ走ってきただけで。これはいけない、広める方の仕事をやろうと思ったんです」と話す。一緒に会社をつくったトレーナー仲間たちと試行錯誤を重ねながら、独自の学習プログラムを作成。アップデートを続けて徐々に完成形に近づけ、日本初のプロスポーツトレーナー専門のアカデミー(養成講座)を立ち上げた。

名前は「プロフェッショナルスポーツトレーナーアカデミー(ProSTA)」。これまでにさまざまな年代の数百人が巣立ち、Jリーグやなでしこリーグのチームでトレーナーとして働くほか、スペインやシンガポール、中国などでもプロのスポーツトレーナーとして生活している。

ProSTAで重点的に教えているのは、自身のスキルを上げていくための練習方法と、どうやったらうまくなれるかのノウハウ。「最初の段階で学ぶべき技術は応急処置などを除き、たった4つしかないんです。テーピング、ストレッチ、スポーツマッサージと、(関節の可動域を広げたり、痛みを取り除いたりする)関節モビライゼーション。これらが選手、チームから求められる。どう学んでいくかを教えていきます」と説明する。

一方で、専門のトレーナーを受け入れられるプロチームには限りがある。ProSTA修了者が全員、プロになれるわけではない。「もともとパイが少ないですから。僕自身、プロ契約が全てじゃないと思っています。スポーツ系に強い整骨院や地元のスポーツクラブで給料をもらいながら、携われる環境の中で技術を生かしてもらえたらとも思います」と希望を話す。根底には、業界の底辺を拡大したい思いがある。

トレーナーが中高生の人生変える

京都橘高のクラブハウスで施術の手本を示す山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)
京都橘高のクラブハウスで施術の手本を示す山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)

今春に完成した京都橘スタジアム(京都市山科区)。グラウンドの横に建てられた真新しいクラブハウスには、民間の整骨院の支店が入居している。おそらく高校の部活レベルでは全国で初めて。山田さんと、高校サッカーの強豪として知られる京都橘高サッカー部との関わりの中で、部活動にスポーツトレーナーを置く取り組みが実を結んだ。

専門のスポーツトレーナーがいることのメリットはたくさんある。けがをしたときに素早く適切な応急処置ができるのに加えて、リハビリテーションの進め方、練習を再開できるかどうかの回復具合の判断、けがの予防…。「そこは監督でもできないし、コーチもできない。ましてや選手自身はよく分からない。高校時代でスポーツが終わるわけではないでしょう。いいスポーツトレーナーと出会うことで、けがを回避できたとか、試合に出られるようになったとか、もしくは、しっかり休んだからプロになれたとか…。人生が変わることだってあるんです」と強調する。

取り組みを始めたきっかけは、約3年前に京都橘高のサッカー部員約80人に行ったアンケート。スポーツに関わる仕事としてトレーナーに興味があるかを尋ねると、肯定的な回答が約30%を占めた。栃木・矢板中央高や沖縄・那覇西高でも同じようなアンケート結果が得られた。そこから「スポーツトレーナーという仕事を広めたり、業界にもっと人材を加えたりすることに、可能性を感じました。スキルの高いスポーツトレーナーを増やすことで、日本のスポーツが強くなる可能性が高いんじゃないかと思ったんです」という。

ただ、経済的な負担や人繰り、設備などを総合的に考えると、高校や中学の部活動にスポーツトレーナーが常勤するハードルはかなり高い。クラブハウスに整骨院の支店を設けることができた京都橘高はまだ稀有(けう)な例。そこで、高校単位ではなく、大会にトレーナーを派遣したり、複数の学校を巡回したりする次善の策を講じているほか、積極的に導入を進めている解決策がある。

それは、京都橘高で実践しているような地元の整骨院との提携。あん摩マッサージ指圧師などの有資格者が何人かいる規模の大きな整骨院と連携し、養成プログラムを受講してもらって、十分なスポーツトレーナーの技術と知識を持って部活動の現場に赴いてもらう。「そのうち、選手たちが整骨院に通うようになれば、経営的にもいいのかなと。地元のスポーツを応援するというブランド価値も生まれます」と相乗効果を説明する。

今は自身の経歴から、サッカー界との結びつきが強いが、高校野球をはじめとした他競技も同じ問題を抱えていると考えている。「日本のスポーツって、高校や中学年代では、リーグ戦よりも一発勝負の連戦の方が多いじゃないですか。春と夏の甲子園大会もそうだし、全国高校サッカー選手権もそう。ということは、短い期間で何試合も戦わなきゃいけない。どう選手の疲労や故障を回復させるかっていうところが占めるウエートは、大きいと思います」と分析する。その上でこんな希望を話した。

「いいトレーナーと出会ったことで人生が変わり、こういう仕事に就いてみたいと思ってもらえれば、スポーツトレーナー業界にもありがたい。いい人材が入ってくるのは、業界の発展につながりますから」

日本のスポーツトレーナーを世界に

日本はスポーツトレーナー大国になれると断言する山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)
日本はスポーツトレーナー大国になれると断言する山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)

平成12年、辞書と100万円だけを持って単身、スペインのバルセロナに渡った。まったくスペイン語は話せない。現地の日本人にマッサージを施して生活費を稼ぎ、3部リーグのサッカーチームに自ら売り込んで雇ってもらった。縁がつながり、日本人で初めてスペイン1部リーグのトレーナーとなった山田さんは「たぶん、みんなと同じことをやりたくない。リスクはあるけれど、新しいことにチャレンジしていきたい性格なんです」と笑う。

プロスポーツトレーナーの養成と、中学・高校の部活動に専門のトレーナーを配置する取り組みの先にあるのは、日本初となる養成学校の設立。「そこで施術も治療もできて…。卒業生は日本じゃなくて、海外に出ていく。Jリーグじゃなくて、フランスリーグとか、イングランド・プレミアリーグとか…。アジアにはまだ、スポーツ医療が確立されていないところもたくさんありますし」と壮大な夢を語る。

背景には、自身が感じた日本人トレーナーの優秀さがある。「選手を回復させ、故障を治していく気持ちは、どこのトレーナーも変わりません。ただ、日本の方が技術を追求する力は強い。僕の体験談で言うと、渡欧1年目、スペイン語が話せなくても、技術が通じたのは間違いないんです」と強調する。

同僚には大谷翔平選手が所属する米大リーグ、エンゼルスでトレーナーを務めている寺田庸一さんもいる。「スペインリーグで通じました。メジャーでも通じている。メジャーとスペインリーグで通じるものが通用しない世界は、ありえない。絶対に勝てます」。世界最高峰で結果を残した自信が、そう言わせる。

もちろん、養成学校を卒業したからといって、すぐに一流のプロスポーツトレーナーになれるわけではない。学校で習った技術だけでなく、選手や監督に信頼され、メンタル面も含めて的確なサポートが行えるようになる必要がある。海外なら、現地の言葉を覚えず、ずっと日本語しか話せないままだと、通用するのは難しい。「プロに行きたいと思えば、ステージが変わるわけです。選手にしても、プロになろうと思ったら、子供のころからの日々の練習の積み重ねが大事じゃないですか。トレーナーにも積み重ねが必要です。ベースをつくってコツコツと。ある意味、選手以上に努力しないといけない。さくっと行ける世界じゃありません」と忠告する。

計画の実現はこれからだが、常に前向きになれる秘訣(ひけつ)は、自身の名前にある。「晃広」。祖父が「太陽の光をたくさん浴び、明るい道を歩いていけるように」との思いを込め、名付けてくれた。

「これは会社のスタッフに言われたんですが、晃の日の光ってエネルギーじゃないですか、それで広いわけだから…。会った人を元気にする。選手とかいろんな人にいつもパワーを与える。そんな名前ですねって。うれしかったですね。だから自分は死ぬまで、出会った人を元気にする、とにかくエネルギーを与えていこうと思っています」

自身の生き方を定め、迷いがなくなった。

「そういう生き方をしておけば失敗しない、間違いないんだと思っています」。日本のスポーツトレーナー界の未来を、照らすつもりでいる。(聞き手 編集委員 北川信行)

インタビューで熱弁をふるう山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)
インタビューで熱弁をふるう山田さん=京都市山科区(渡辺恭晃撮影)

やまだ・みつひろ 昭和49年生まれ。東京都出身。専門学校卒業後、平成12年にスペインに渡り、15年に日本人で初めてサッカースペイン1部リーグ、ラシン・サンタンデールのトレーナーに就任。帰国後はJリーグの湘南ベルマーレや、女子のINAC神戸レオネッサでトレーナーを務めた。25年に「The StadiuM」設立。アスリートのマネジメントやスポーツトレーナーの養成を行っている。

The StadiuM社長・山田晃広さん「トレーナー目線でW杯スペイン戦占う」

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