今年5月に80歳で世を去ったイビチャ・オシムさんは、1990年のサッカーW杯イタリア大会でユーゴスラビア代表の監督を務めていた。準々決勝でマラドーナ擁するアルゼンチン代表と死闘を繰り広げ、PK戦で敗れる。
▼「どうして素晴らしい120分間の戦いについてではなく、PK戦のことばかり聞くんだ」。オシムさんは試合後の会見でいら立っていたそうだ。実はPK戦が決まると、選手は次々にスパイクを脱ぎ始めた。蹴りたくない、の意思表示である。
▼宗教や言語の異なる6つの共和国で構成された旧ユーゴには、解体、内戦の危機が迫っていた。各民族を代表していた選手にとって失敗は許されなかった。選手の重圧を理解しながらも指名し、ロッカールームで結果を知った。オシムさんにとって苦い経験である。日本の代表監督になってからもPK戦を一切見なかった。