アカデミー賞4つ 吉崎道代プロデューサー「カンヌなんて興味ない」

映画プロデューサー、吉崎道代さん(提供/谷岡康則撮影)
映画プロデューサー、吉崎道代さん(提供/谷岡康則撮影)

ロンドンを拠点に活躍する日本人映画プロデューサー、吉崎道代さん(80)に日本映画ペンクラブ功労賞が贈られることが11月22日、決まった。

自身の製作会社が手掛けた英映画「クライング・ゲーム」と「ハワーズ・エンド」(ともに1992年)で米アカデミー賞の4部門を獲得するなど、世界的な活躍を続けている。

「ドライブ・マイ・カー」凱旋会見

今年7月には、波乱の映画半生をまとめた自伝「嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録」(キネマ旬報社)も出版した。

「こんなタイトル、昭和30年代の石原裕次郎の映画みたいでいやねえって言ったんですけど、息子のパートナーが『クールだ』って。ま、クールだったらいいわ」

大分県の出身。19歳で単身イタリアに渡った。

「勉強がだめ。不美人。日本にいてもうだつがあがらないだろう。じゃあ、大好きな映画スター、マーロン・ブランドを探しに外国へ行こうと」

伊映画に夢中だったので、伊国立映画実験センターに留学。帰国して日本の配給会社で欧州映画の買い付けの仕事に就くと、伊語と英語、それに気の強さを武器にアラン・ドロン主演「太陽がいっぱい」のビデオ化権など次々に買い付け、「ミニスカートのタフネゴシエーター」などと呼ばれた。

自伝には、そのドロンとのロマンス、若き日のクリント・イーストウッドとの奇妙な出会いなど、驚くような秘話も記されている。

1992年に英国で自身の製作会社を設立。プロデューサーとして手掛けたのが、「ハワーズ・エンド」であり「クライング・ゲーム」だった。

台頭した吉崎さんが米国で渡り合ったのが、元映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインだ。2017年、長年にわたり映画界の女性に暴行を続けていたことが報道で明らかになり、「#MeToo運動」の原因となった。

「彼はジキルとハイド。その本性を巧みに隠した。私は、もっぱらビジネス面での恐怖にさらされました。例えば『クライング・ゲーム』は彼が配給し、私のところには一銭も入ってこなかった。文句をいえば『今後、お前の映画は扱わない』と」

世界が相手の映画プロデューサー。タフでなければ、やっていけない。「必要なのは、エネルギーと気概です」という。

報われるのは、アカデミー賞を獲得すること。その結果、大きな興行成績を残すことだという。「カンヌ国際映画祭? フランス人のための芸術の賞なんて興味ない」と言い切る。

監督や俳優と疑似家族になって映画を作り上げる過程が楽しいのだとも。

「妊娠、出産の過程に似ているかもしれない。その意味では、女性は映画プロデューサーに向いていると思いますね」

自伝を、多くの女性に読んでほしいと願っている。

「男性社会において、女性はアウトサイダーとして生まれてくる。でも、いまの日本の若い女性たちはすごく輝いてみえる。そんな女性たちの人生やキャリアのガイドになってくれたら」(石井健)

会員限定記事会員サービス詳細