土中から全国的にも珍しい平安期の木製仏像の一部発掘  宮城・多賀城

仏像の「光背」とみられる舟形木製品(多賀城市埋蔵文化財センター提供)
仏像の「光背」とみられる舟形木製品(多賀城市埋蔵文化財センター提供)

平城京跡、大宰府跡とともに「日本三大史跡」のひとつとされる宮城・多賀城跡。その城下にある古代都市の市川橋遺跡を調査していた多賀城市埋蔵文化財調査センターは6日、大規模な建物群や池の中から仏像の一部とみられる木製品を発掘したと発表した。8世紀後半から9世紀初頭のものと考えられる。土中の木製品はほとんどが腐ってしまうため、古代の木製品が見つかったり、年代が特定できるのは全国的にも珍しいという。

仏像の台座の一部とみられる蓮弁状木製品(多賀城市埋蔵文化財センター提供)
仏像の台座の一部とみられる蓮弁状木製品(多賀城市埋蔵文化財センター提供)

センターによると、発掘されたのは、仏像の光背(こうはい)として使用されたとみられる舟形木製品と、台座の一部とみられる蓮弁状木製品。光背とは仏像の後光(ごこう)を表し、蓮の台座は仏像が蓮の花弁の上に立っていることを表現している。材料には、東北地方の仏像には珍しく、近畿地方でよく使われたカヤ材が使われており、近畿地方の仏師とのかかわりが垣間見える。

多賀城下にあった古代都市は東西と南北に大路が通り、規則正しい碁盤目状になっていた。平安時代の初めころから段階的に発展し、9世紀後半頃に最大となった。最大の時期は、南北約1キロ、東西約1・5キロの範囲に広がった。

市川橋遺跡は多賀城政庁から南西に約400メートルの位置にある。遺跡からは複数の建物群と池の跡が見つかっており、木製品は池の底から見つかった。発掘を担当した同センターの小原駿平技師は「水と泥でパッキングされたため、微生物が分解できず、腐敗せずに残ったとみられる」(センター)と話している。邸宅の敷地内に、仏像を安置する簡易的な仏堂などの宗教施設があった可能性がある。

また、915年の十和田噴火の地層よりも下層から出土したことから、都市が発達した8世紀後半から9世紀初頭のものと推察されるという。

古代都市文化に詳しい佐藤信東大名誉教授は「舟形木製品は小形の立像を伴った光背で、蓮弁状木製品は蓮弁と考えられる。この区画は国司クラスの有力者の邸宅で、仏堂などがあったとみられる」との見解を示した。

また、日本各地の仏像を研究している長岡龍作東北大教授は「仏像台座の蓮弁はしばしば釘(金属製または木製)留めするため、木製品の孔は、そのためのものと思われる。いずれにしても、9世紀に遡(さかのぼ)るる木製の仏教遺物として、たいへん興味深い資料である」と評価している。

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