長野県を代表する特産品「野沢菜」。北信州の風土が育んだ野沢菜の起源と伝わる「天王寺蕪(かぶら)」は、発祥の地、大阪・天王寺付近で江戸時代から盛んに栽培されたが、明治時代に姿を消す。形を変えて遠く信州で根づいたことをきっかけに大阪で天王寺蕪の復活が試みられ、両地域の交流も続いている。
地域交流続く
「天王寺蕪がもとで野沢菜になったというのは、野沢温泉では常識だった。野沢菜に携わっている方なら、ほとんど知っていると思いますよ」
宝暦年間(1751~64年)、京都へ遊学した晃天園瑞(こうてんえんずい)住職が天王寺蕪の種子を持ち帰ったと伝わる野沢温泉村の健命寺第24代住職、大谷俊雄さん(69)はこう語った。
天王寺蕪は、江戸初期から約300年間、大阪・天王寺周辺を中心に栽培された。小ぶりで味がよく、干しかぶらや漬物、かす漬けなどに加工されて全国に広まった。しかし、明治末期に発生した害虫被害や農地の宅地化などで姿を消したという。