昭和51年シーズンもいよいよ大詰めを迎えた。長嶋巨人は10月9日からの阪神との〝最終決戦〟を前に、7日、秋山大洋を〝血祭り〟にあげた。
先発はもちろん小林。ここまで大洋戦11試合に登板し、7勝1敗1S(先発8、救援3)。抜群の相性の良さだ。理由は得点力。小林が先発した8試合の総得点は55点。1試合平均6・87点の援護射撃だ。
「小林のリズムのいい投球が野手の守りのリズムと合うから」という杉下コーチの見解は既に載せた。(第95話)
◇10月7日 川崎球場
巨人 200 000 213=8
大洋 000 000 100=1
(勝)小林18勝8敗1S 〔敗〕平松12勝16敗2S (S)加藤13勝4敗8S
(本)張本㉑(平松)ジョンソン㉔(平松)㉕(奥江)
打のヒーローは2本の本塁打を放ったジョンソン。実はこの日、ジョンソンは試合前に首脳陣へ「きょうは休ませてほしい」と申し出ていた。10月2日のヤクルト戦で再発した右膝痛がここ数日、悪化するばかり。「これでは満足にプレーできない」と欠場を決意したという。
ところが、そんなジョンソンに長嶋監督が頭を下げた。
「いまは非常時、無理は承知でお願いする。とにかく、やれるところまででいいから試合に出てくれないか」
ジョンソンは感激した。
「それほどまでにオレを頼りにしてくれるのか…」
実は彼にはもうひとつ理由があった。それは平松への〝恨み〟だった。ジョンソンは今シーズン終了後に帰国して痛めた右手親指の手術を受ける予定にしていた。右手親指の負傷は平松から受けた死球が原因だったのだ。
ジョンソンは痛み止めの薬を飲んで試合に出場した。ところが薬が効き過ぎたのか、試合中に「胃がムカムカする」とトイレに駆け込み、嘔吐(おうと)を繰り返した。
「もういいよ。休んでくれ」と長嶋監督。だが、今度はジョンソンが「出る」と言い張った。そして七回、先頭打者で平松から左翼へ24号ホームラン。そして九回には3人目の奥江から2打席連続の25号3ラン。まさに〝男気〟の2発だ。
「これでいいムードで阪神戦に臨めます。ハイ、いよいよです」
長嶋監督の声も弾んだ。阪神とのゲーム差は「3」となった。(敬称略)