文楽太夫ゆかりの「織太夫稲荷」 豪雨被害から再建

竹本織太夫が修復した織太夫稲荷。高さ3メートル以上で伏見稲荷大社本殿に最も近い最大の石宮だ=京都市伏見区
竹本織太夫が修復した織太夫稲荷。高さ3メートル以上で伏見稲荷大社本殿に最も近い最大の石宮だ=京都市伏見区

人形浄瑠璃文楽の竹本織太夫が、令和元年7月の豪雨災害で石鳥居が倒壊した伏見稲荷大社(京都市伏見区)境内にある文楽太夫ゆかりの石宮、通称「織太夫稲荷」を再建し、11月16日に奏告祭を行った。

織太夫稲荷は元は塚だったが、かつてあった人形浄瑠璃の劇場、堀江座の座主を務めた木津谷吉兵衛が明治44(1911)年に現在の石宮を創設。当時名乗っていた「四代目竹本織太夫」の名を石宮の正面に刻んでいる。

織太夫としての出演歴がないことなどから後に代数外とされ、四代目は昭和13年に後の八代目竹本綱太夫が正式に襲名したが、五代目織太夫(後の九代目竹本源太夫)は織太夫ゆかりの石宮として、平成2年に春日灯籠を寄進している。

豪雨災害で石鳥居が倒壊したのは、当代が約20年ぶりに織太夫の名跡を継ぎ、襲名披露公演を終えた4カ月後のこと。当代は「タイミングにも縁を感じ、六代目として必ずここを立派にすると約束した」と語る。私財を投じて石鳥居を再建し、神額や「織」の字の紋入りの幔幕(まんまく)なども新調して奉納した。

織太夫は「六代目としての自覚を強くした。同じ織太夫を名乗る者として木津谷さんの御霊(みたま)を大事に扱い、今後の活動を見守っていただきたい」と話した。

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