あだ名は「マラドーアン」 堂安律、大舞台で輝く魔法の左足 

【日本-スペイン】後半、ゴールを決めて駆け出す堂安律(左)=1日、ハリファ国際競技場(村本聡撮影)
【日本-スペイン】後半、ゴールを決めて駆け出す堂安律(左)=1日、ハリファ国際競技場(村本聡撮影)

アルゼンチンの世界的スター選手の名前をもじり、付いたあだ名は「マラドーアン」。サッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会日本代表の堂安律(24)は、そのニックネームの通り、鋭いドリブル突破とシュートが武器だ。ドイツ、スペイン戦では値千金の同点ゴールを決め、存在感を見せつけた。アマ(兵庫県尼崎市)が生んだ「魔法の左足」は、少年時代から世界を強く意識していた。

3兄弟の末っ子として尼崎市で生まれ育った。物心つく頃から兄2人にもまれ、毎日公園でボールを追いかけた。

幼稚園から小学校卒業まで8年間通った「クーバー・コーチング・サッカースクール尼崎校」。3兄弟を指導した鈴木大人(ひろと)代表(51)は、「兄2人と切磋琢磨(せっさたくま)できた環境が大きかった」と振り返る。

当時の堂安は体格にも恵まれ、2学年上の選手と対等に渡り合うほどだった。何でもそつなくこなす優等生で、「子供ながらにコーチら年上と意思疎通する高いコミュニケーション力もあった」(鈴木さん)。

小4時からは強豪の「西宮SS」(兵庫県西宮市)にも所属し、掛け持ちで通うクーバーでの練習もより熱を帯びるように。自分に足らない点はないかコーチに助言を求め、常に高みを目指す少年だった。サッカーに向き合う意識の高さは当時から際立ち、鈴木さんも「この子はプロに行く」と確信していた。

負けず嫌いの性格でも知られる。ある大会の決勝戦で敗れると泣き崩れ、「2番はいらない」と表彰式への出席を拒もうとしたエピソードも残る。

小学生時代から世界を意識していた堂安。将来の進路を巡り鈴木さんに「ブラジルでプレーしたい」と打ち明けたこともある。理由を尋ねると「ブラジルは強いチームだから」。日本人選手が海外で活躍するのは珍しくない時代にはなっていたが、鈴木さんは小学生ながらも世界を見据える発言を繰り返していた堂安に驚かされたという。

Jリーグ経由で19歳で海を渡った堂安。サッカーエリートの道をひた走ってきたが、エースナンバーの「10」を背負った昨夏の東京五輪ではメダルにあと一歩届かず、悔しさを味わった。

だが、2日(日本時間)の1次リーグ最終戦で、五輪の準決勝で敗れたスペインにリベンジを果たした。もちろん、これで終わりではない。初のベスト8、そしてその先へ。強気の堂安が燃えないわけがない。(木ノ下めぐみ)

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