一聞百見

逆風コロナ禍からの一手 「まいどおおきに食堂」の新戦略

一代で数多くの外食店を立ち上げてきたフジオフードグループ本社の藤尾政弘社長=大阪市北区(須谷友郁撮影)
一代で数多くの外食店を立ち上げてきたフジオフードグループ本社の藤尾政弘社長=大阪市北区(須谷友郁撮影)

筆書きの味わい深い看板に誘われ、足しげく通う人が多い全国展開の大衆食堂チェーン「まいどおおきに食堂」。経営するフジオフードグループ本社の藤尾政弘社長(67)は大阪・天満の食堂を営む家庭で育ち、24歳で飲食店を自らオープン後、居酒屋や串揚げ店など多様な業態を生み出してきた。どれも親しみやすく、どこか懐かしさの漂う店づくりが持ち味となっている。

父との思い出が原点

新型コロナウイルス禍の影響が深刻な飲食業界において、同社への打撃も例外ではなかった。とりわけ会社帰りのサラリーマンがよく利用していた大衆居酒屋チェーン「かっぽうぎ」などは「休業を余儀なくされたこともあって夜の売り上げがなかなか戻らず、やむなく閉店や業態を転換した店も多い」と藤尾社長は話す。

同社の運営する店舗は全部で約800店舗で、新型コロナ禍前から100店舗ほど減っている。居酒屋業態で約6割を占めていた夜間の売り上げがほぼなくなり、巻き返しを図ろうと令和3年1月、ある新業態を立ち上げた。喫茶店「ピノキオ」だ。

「よし、これでいこう」。そう藤尾社長が店舗のコンセプトを決めたのは2年10月ごろ。その約3カ月後、3年1月に大阪で出した1号店を皮切りに、4年10月時点で93店まで広がっている。無論、多くは居酒屋などからの業態転換だ。内装に木をふんだんに使い、大きな世界地図や操舵輪のインテリアなど「ピノキオ」がたどった冒険をイメージ。〝昭和レトロ〟な雰囲気で、米有名チェーンに代表されるおしゃれなカフェとはある意味、正反対のイメージである。名物は大人のお子様ランチ「ピノキオプレート」。ナポリタンやパフェなどの定番メニューも人気を博す。スイーツは「孫を連れたお年寄りにも楽しんでほしい」とぜんざいも用意している。

この新業態について「ターゲットはありません」と藤尾社長は言い切る。ただ、新型コロナ禍で変化した人々の行動様式に合わせ、朝のニーズには着目した。「閑散とした夜に対し、朝は活動する人が多かった。特に郊外はそうだ」とし、6月には大衆食堂での定食メニューの強みをいかして、和食のモーニングを投入。広いスペースを確保できた店舗では、1人客がテレワークをしながら食事ができるようカウンターを作った。

 天神祭で父に抱き抱えられる藤尾社長=昭和30年代前半、大阪市北区(フジオフードグループ本社提供)
天神祭で父に抱き抱えられる藤尾社長=昭和30年代前半、大阪市北区(フジオフードグループ本社提供)

あえて言うならば「老若男女」がターゲットだ。その発想の原点には、亡き父との幼い頃の思い出がある。父がよく連れて行ってくれた、実家近くにあった喫茶店。顔なじみの店員や店主が気さくに声をかけてくれた。「(息子さんは)お父さんによく似てきたね」と店員が言葉をかけるとうれしそうに笑みをこぼす父を、大好きなチョコレートをほおばりながらながめた。「そんな幸せな時間を過ごせる店を作ってみたいと思った」と藤尾社長は語る。

藤尾社長が生まれた昭和30年代は、日本が経済大国への道を歩み始めた高度経済成長期のスタートしたころだが、一方で戦後の混乱からくる貧しさもあった。モノがあふれた現代から見れば、物質面では足りないものが多かったが「何もなかったとしても、皆が何か目標を持ちがむしゃらに進んでいた」。コロナ禍のストレスに疲れ、殺伐とした現代だからこそ「客や店員の会話が音楽のように流れる、人と人の触れ合いがある場所が必要なのではないか」と語る。「認知を広めるためいろいろとやらねばならないが、急いで慌てずの精神でやりたい」と意気込む。

定年定めず老若男女集う

 本社内のテストキッチンでメニューを開発する藤尾政弘社長=大阪市北区(須谷友郁撮影)
本社内のテストキッチンでメニューを開発する藤尾政弘社長=大阪市北区(須谷友郁撮影)

高齢社会となった今でこそ「70歳定年」も議論されるようになったが、フジオフードグループ本社では創業当初からそもそも定年を定めていない。体力的に働くことができないなど、定年のタイミングは社員自身が決めるという何ともユニークな方式を取っている。

藤尾社長によると「最年長は92歳の女性店員」というから驚きだ。

その92歳の女性店員は、富山県にある同社のセルフ式大衆食堂「まいどおおきに食堂」に勤めている。おおむね元気だが立ち仕事が難しく、店では座っていることも多い。出勤時刻もその日の体調などを見ながらだから、ある日は3時間ほど遅めに出勤したり、別の日は2時間だけ働いたりといったこともあるという。だが、周りのスタッフはその女性を気づかうことで、人に優しくなる。その雰囲気が客にも伝わり、客からも店員に「お元気ですか」と声がかかったりする。

「スタッフや客層もその店の商品となって全体のバランスが形作られ、結果的に繁盛店が築かれていくんです」と藤尾社長は話す。

年齢に関係なく、誰もが普段着で働くことができる。そうした店であればターゲットのない、老若男女が集う場になる、という考えが藤尾社長にはある。均一化、合理化を追求したファストフード店のように、接客時のお辞儀の角度を定めるといったことではなく、「こんにちは」「〇〇さん、今日はもうお仕事終わったの」「どうぞ、ごゆっくり」―。そんな会話が交わされる人のぬくもりを感じられる空間を生み出すことが目指す店づくりだ。

「雇用を生むことは社会的に大きな意義がある。そういう信念を持って大衆食堂を営んできた」と藤尾社長は語る。身寄りのない戦争未亡人が懸命に働く姿や、仕事を失う人も多かった戦後の混乱期を知っているからこそ、「たくさんの人に喜んでもらえるような職場を作りたい」という。

同社で働く社員はアルバイトも含めて約7千人だ。これを、3万人まで増やす目標を掲げている。そのために、現在、国内外にある約800店舗を3千店舗まで増やすことを目指す。

 農福連携による野菜栽培を続けている「フジオファーム琴浦農場」=東伯郡琴浦町(フジオフードグループ本社提供)
農福連携による野菜栽培を続けている「フジオファーム琴浦農場」=東伯郡琴浦町(フジオフードグループ本社提供)

一方、同社は外食事業とは別に、力を入れている分野がある。平成27年に鳥取県と提携して参入を果たした農業だ。同年9月に完全子会社「フジオファーム」(鳥取県北栄町)を設立し、約2ヘクタールの土地でタマネギやリーフレタスなどの野菜を栽培。収穫した野菜は「まいどおおきに食堂」などへ供給している。

農業に参入した最大の目的もやはり雇用の創出だ。農業と福祉をつなぐ「農福連携」が事業の大きなテーマとなっており、現在14人の障害者らが働いている。

さらにいま構想を進めているのがワイナリーの建設。同県中部に位置する琴浦町(約3・4ヘクタール)が計画地である。そのそばに広がる約2ヘクタールの畑で、31年からシャルドネやカベルネ・ソービニヨン、メルローを栽培している。「計画はかなり具体化していたが、新型コロナウイルス禍で本業への業績のダメージも大きく、感染の収束が見えてから仕切り直す」という。

ワイナリーには同社初となる、宿泊機能を備えたレストラン「オーベルジュ」を併設する計画だ。建築家の安藤忠雄氏に設計も依頼した。「遅くとも2年後(の令和6年)には開業したい」と藤尾社長。手つかずの自然が残る同町の景色を望みながら、地元の食材を使ったフランス料理を味わう。「癒やしを求めるときだからこそ、喧噪(けんそう)から離れ、自然に触れられる場所があれば」と夢をふくらませている。(田村慶子)

ふじお・まさひろ 昭和30年3月、大阪市生まれ。大阪・天満の商店街で大衆食堂を営む両親のもと、4人兄弟の末っ子として生まれた。追手門学院大を卒業後、24歳でキッチンバーを開き、平成11年にフジオフードシステムを設立。31年に東京証券取引所1部上場、その後、持ち株会社制に移行してフジオフードグループ本社に改称した。セルフ式大衆食堂「まいどおおきに食堂」をはじめとした多くのチェーンがあり、直営とフランチャイズを合わせ国内外で約800店舗を展開している。

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