小林繁伝

「タイガースは何年たったら優勝」…名付け親の心 虎番疾風録其の四(119)

三回、24号本塁打を放つ阪神・掛布雅之内野手=昭和51年10月6日、広島市民球場
三回、24号本塁打を放つ阪神・掛布雅之内野手=昭和51年10月6日、広島市民球場

ことし(令和4年)4月、大阪・梅田の阪神百貨店のリニューアル工事が終了した。狭かった地下街の通路も広く美しくなった。昔は各地の名産物を一堂に集めた『阪神百貨店全国銘菓名物街』があった。筆者も出張のお土産を買うのを忘れ、よくお世話になった。各店の前で座っているおばちゃんたちと話すのも楽しかった。

この物語の昭和51年、『大阪府・奈良県』コーナーで店番をしていたのは珍しく男性。吹田市に住む松原三郎さん(当時73歳)。ラジオを店の前に置き、やってきたお客さんと「プロ野球」の話をよくしていた。実はこの人こそ「大阪タイガース」の〝名付け親〟なのである。

昭和10年12月、職業野球団「大阪野球俱楽部」が発足したとき、松原さんは阪神電鉄の事業課に勤めていた。そして球団ニックネームの社内募集に応募した。社内から約200人が応募し、「大阪タイガース」と書いたのはわずか3人。抽選で松原さんが〝名付け親〟の栄誉と賞金30円をもらったという。

「その頃、大リーグはヤンキースの黄金時代。けど、大工業都市のデトロイトを本拠地にしているタイガースも強かった。阪神も工業都市だからあやかったんです。他にライオンズもあったなぁ」

大阪タイガースは昭和15年に「阪神」に変更されたが、21年に再び「大阪」へ。そして36年にまた「阪神」に戻った。松原さんは電鉄を退社し、29年から地下街に落ち着いた。

「タイガースはいったい何年かかったら優勝してくれるんやろ。このままでは〝大阪の恥〟やで。暖簾(のれん)に傷つける道楽息子ですわ」

当時の新聞には松原さんのこんな談話が掲載された。

昭和39年以来12年ぶりのタイガースの大逆転優勝はあるのか―。


◇10月6日 広島球場

阪神 111 011 030=8

広島 011 200 020=6

(勝)山本和5勝3敗17S 〔敗〕外木場10勝4敗 (S)古沢9勝8敗1S

(本)池辺⑬(外木場)掛布㉔(外木場)衣笠㉑(谷村)ブリーデン㊳(外木場)


阪神は広島戦に古沢をつぎ込んで逃げ切り。10月9日からの巨人との〝最終決戦〟に臨むため東上した。ゲーム差は「2・5」だ。(敬称略)

■小林繁伝120

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