江沢民氏死去

経済発展背景に国際地位強化 対日関係は悪化

1999年10月、中国建国50周年記念式典で閲兵する江沢民国家主席=北京(新華社=共同)
1999年10月、中国建国50周年記念式典で閲兵する江沢民国家主席=北京(新華社=共同)

30日に死去した中国の江沢民元国家主席は、市場経済化による高い経済成長を背景に、中国の国際的な存在感を高めた。1989年の天安門事件で中国は国際的に孤立したが、江氏は彼我の国力差が大きかった米国に対しては低姿勢外交に徹し、対米関係を安定させた。一方で、日本や台湾などに対しては自国のナショナリズムをむき出しにした覇権的な姿勢を取り、火種を多く残した。

江氏は92年の党大会で「社会主義市場経済」を提起し、市場経済化を正式に決定。中国は同年から江氏の国家主席退任の2003年までの間、年7%台後半から14%台の高度経済成長を遂げて「世界の工場」としての地位を築いた。

江氏は1997年7月の香港返還が近づくと台湾統一にも意欲を示し台湾側と接触した。だが、台湾の李登輝総統(当時)が95年6月に非公式訪米すると関係は悪化。96年3月の台湾初となる総統直接選挙に向けて、大規模な軍事演習を実施するなど「文攻武嚇(言葉で攻撃し武力で威嚇する)」を行い、米国が空母2隻を派遣する第3次台湾海峡危機を招いた。

だが、江氏の対米関係の基本は低姿勢だ。クリントン米政権(当時)が中国と協調して政治改革を促す「関与政策」をとっていたこともあり、米中関係がさらに悪化することはなかった。江氏は97年10月に国賓として訪米を果たし「米中二極時代」を印象付けた。クリントン大統領が98年6月に訪中した際には、「台湾独立を支持しない」などの「3つのノー」をクリントン氏から引き出した。

一方で江氏は、市場経済化の中で国家や党の求心力を維持するため「愛国主義教育」を推進した。「抗日戦争」に関する施設を多数建設し、中国世論の対日感情は悪化。自身も98年11月に訪日した際、宮中晩餐(ばんさん)会で歴史問題に言及し、日中関係にしこりを残した。

さらに92年に施行した領海法では、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を新たに自国領と明記。対米姿勢とは対照的に、周辺国に高圧的な態度をとるようになった。

(田中靖人、西見由章)

中国の江沢民・元国家主席が死去 社会主義市場経済を推進 習体制発足を後押し


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