江沢民氏死去

中国共産党をエリート政党に一新 派閥政治の権化

1992年10月、第14回中国共産党大会で鄧小平氏(手前)と写真に納まる江沢民総書記=北京・人民大会堂(共同)
1992年10月、第14回中国共産党大会で鄧小平氏(手前)と写真に納まる江沢民総書記=北京・人民大会堂(共同)

30日死去した中国共産党の江沢民元総書記は毀誉褒貶(きよほうへん)が激しく、党にとっての功罪も相半ばする政治家だ。特に自身の権力欲から後任の胡錦濤前総書記時代に派閥政治を蔓延(まんえん)させたことは、鄧小平が整備した集団指導体制をゆがめる結果となった。脆弱(ぜいじゃく)な集団指導体制に愛想をつかしていた習近平総書記が個人独裁を完成させた今、派閥政治の権化である江氏がこの世を去るのは象徴的だ。

江氏は1989年6月の天安門事件直後、党の最高実力者の鄧小平から抜擢(ばってき)され、混乱の最中にある中国のかじ取りを託された。92年の鄧による「南巡講話」を機に改革開放を加速し、同年の第14回党大会では「社会主義市場経済」を決議。2001年には世界貿易機関(WTO)加盟を果たし、中国の高度経済成長を牽引(けんいん)した。

00年には資本家の入党を認める「3つの代表」思想を提起した。共産党が労働者階級を代表する階級政党から現在のエリート政党へと変貌する一大転機となった。

「中国の富を築いてきた中間層の経営者たちを党内に入れなければ共産党は貧乏党のままで、われわれに正統性はない」。江氏は01年1月、訪中した社民党党首(当時)の土井たか子氏に対し、党のあり方について非常に悩んだ様子で語ったという。現場に外交官として同席した静岡県立大の諏訪一幸教授(中国政治)は「江氏は党内の反対を押しのけて、中国共産党のあり方を変えてしまった。今の共産党の基盤をつくった大政治家という面もある」と指摘する。

一方で江氏は任期中、気功団体「法輪功」への大弾圧を強行し、人権問題をめぐって国際社会から批判を浴びた。また総書記を引退した後も04年まで中央軍事委員会主席にとどまったほか、自らが率いる上海閥の腹心たちを党最高指導部で暗躍させるなど、自身の影響力を行使し続けた。対立する共産主義青年団(共青団)派の李克強氏が胡錦濤氏の後継者として総書記に就任するのを阻止するため、習氏の総書記就任を強く後押しするなど派閥の論理で動くことも目立った。

しかしその習氏は総書記就任後、上海閥の大物政治家を次々と反腐敗闘争で失脚させ、党内で江沢民派の影響力はほぼなくなった。習氏は近年、自らの権威を高めるために、江氏ら前任指導者の功績を無視する態度を強めている。「江氏は晩年、習氏に対して恨みに近い感情を持っていたのではないか」(諏訪教授)との見方もある。(西見由章)

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