江沢民氏死去

中国の江沢民・元国家主席が死去 社会主義市場経済を推進 習体制発足を後押し

中国の江沢民・元国家主席(右)の近影とみられる写真=10月(共同)
中国の江沢民・元国家主席(右)の近影とみられる写真=10月(共同)

【北京=三塚聖平】1989年の天安門事件直後に中国共産党総書記に就任し社会主義市場経済を推進、引退後は上海閥を率いて現在の習近平体制の発足を後押しした江沢民元国家主席が30日、上海で死去した。96歳だった。中国国営新華社通信など国営メディアが一斉に伝えた。

26年、江蘇省揚州生まれ。上海交通大卒のエンジニア出身で、55年にはモスクワの自動車工場で研修。電子工業相などを歴任した後、85年に上海市長、87年には上海トップの市党委員会書記も兼任した。

89年6月4日の天安門事件をめぐっては、直前の4月に上海で胡耀邦元総書記の再評価を求める動きを押さえ込んだ。これが最高実力者の鄧小平氏ら党長老に評価され、同年6月下旬、趙紫陽氏失脚後の総書記に抜擢(ばってき)された。

その後、党中央軍事委主席、国家主席(国家元首)も兼任。97年に鄧氏が死去すると、名実ともに中国の最高指導者となった。同年に香港返還、99年にマカオ返還を実現。愛国主義教育と称して反日教育を進める中、98年には中国国家元首として初めて訪日した。

経済面では92年に社会主義市場経済の導入を決定。経済成長率10%超の高度成長を達成し、2001年に世界貿易機関(WTO)加盟を果たした。企業家の入党を積極的に認めるなど党改革も行ったが、民主化要求の動きは封じ込めた。

後継者の胡錦濤氏に2002年に総書記、03年に国家主席、04年に党中央軍事委主席をそれぞれ移譲した。引退後も上海閥を率いて影響力を誇示し、07年の北戴河会議で胡氏の後継者に習近平氏を推薦、5年後の習体制発足を導いた。

しかし14年に元側近の最高指導部メンバー、周永康氏が失脚。影響力低下が指摘される中、15年9月、天安門で軍事パレードを参観し健在ぶりを示した。

江氏は、今年10月に開かれた中国共産党の第20回党大会にも出席していなかった。党大会前には、江氏の近影とみられる写真がインターネット上に出回っていた。近年、江氏の動静が公になることは少なく、党大会が開幕するのを前に存在感をアピールする狙いも指摘された。

仙台市博物館を訪れ魯迅の碑に献花する江沢民中国国家主席夫妻=1998年、同市青葉区(代表撮影)
仙台市博物館を訪れ魯迅の碑に献花する江沢民中国国家主席夫妻=1998年、同市青葉区(代表撮影)
東北大を訪れ、阿部博之同大学長(右から2人目)の説明で魯迅が学んだ席を見学する江沢民中国国家主席=1998年、仙台市青葉区(代表撮影)
東北大を訪れ、阿部博之同大学長(右から2人目)の説明で魯迅が学んだ席を見学する江沢民中国国家主席=1998年、仙台市青葉区(代表撮影)
新幹線で移動する江沢民中国国家主席=1998年
新幹線で移動する江沢民中国国家主席=1998年

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