今年10月、79歳で死去したアントニオ猪木は、日本のプロレス界に一時代を築いたスーパースターであると同時に政治家(参院議員2期)でもあった。独自の議員外交を展開し、湾岸戦争時、イラクで人質になっていた日本人の解放に貢献(平成2年)したり、何度も訪朝して北朝鮮の高官らと会談したりした。
平成7(1995)年4月には北朝鮮の平壌でプロレスを行っている。「平和のための平壌国際体育・文化祝典」に門下のプロレスラーらを連れて参戦。自身も外国人レスラーと試合を行い、同国からの消息によれば、会場には、20万人近い大観衆が詰めかけたという。その際、立会人を務めたのが猪木と異種格闘技戦(昭和51年)を行った元ボクシングヘビー級世界王者のムハマド・アリだった。
このときの「プロレスラー猪木」の様子が一見、畑違いと思われる北朝鮮のマスゲームを紹介する本に掲載されている。同国の出版社が2002年に発行した『朝鮮の集団体操(マスゲーム)』に収録されたコラム「プロレスリング王者の願い」がそれだ。