小林繁伝

虎は死なず…1試合9アーチで首位猛追 虎番疾風録其の四(118)

六回、33号本塁打を放つ阪神の田淵。4者連続、チーム9本目の本塁打となった=昭和51年9月19日、甲子園球場
六回、33号本塁打を放つ阪神の田淵。4者連続、チーム9本目の本塁打となった=昭和51年9月19日、甲子園球場

8月の8勝14敗2分けで「もう死んだ」と思われた虎が、9月に入って突然、よみがえった。

1日のヤクルト23回戦(甲子園)を皮切りに1分けを挟んで7連勝。16日の巨人21回戦(後楽園)には敗れたものの、次の試合からまた6連勝。9月を14勝2敗1分け。首位巨人を再び猛追。そのすさまじいこと。

9月19日、甲子園球場での広島戦(ダブルヘッダー第1試合)をご覧あれ。


◇9月19日 第1試合 甲子園球場

広島 010 102 000=4

阪神 312 016 00×=13

(勝)古沢7勝7敗 〔敗〕佐伯8勝11敗

(本)ブリーデン㉜㉝(佐伯)池辺⑪(佐伯)田淵㉜(佐伯)㉝(永本)三村㉓(古沢)ラインバック⑱⑲(永本)山本⑯(古沢)中村勝⑫(永本)掛布⑳(永本)


なんと昭和26年8月1日に松竹ロビンスが対大阪タイガース戦で作った、1試合チーム最多記録と並ぶ9本塁打を放ったのだ。圧巻は六回の攻撃だ。

すでにこの回までにブリーデンの2打席連続ホーマーなど5本塁打を放ち、7―4とリードしていた。

2死二塁で3番手永本から中村勝が左翼へ12号2ラン。すると続く掛布が左翼へ。ラインバックも右中間へ叩き込み3連発で田淵が打席に入った。

「もちろん狙ってたさ。ああなったら投手はもうダメ。わけが分からなくなってる。粘って、粘って、じっくりと好きな球がくるのを待ったんだ」

本当に「頭が真っ白になっていた」永本から田淵はファウルで6球粘り、11球目を左中間スタンドへ放り込んだ。もちろん4打者連続ホーマーは当時のセ・リーグタイ記録。そしてこれがチーム9本目のホームラン。

悔しがったのはブリーデンだ。2ホーマーを放って「お役御免」と、すでに大島と交代。ベンチに引っ込んでいた。

「こんなことになるのなら、交代なんてしなきゃよかった。必ず新記録のホームランを打っていたさ」

残念ながら大島は三振に終わった。

阪神は第2試合も掛布21号、田淵34号、榊原も2号本塁打を放ち5―4で逆転勝ち。1日で12本。両軍合わせると15本のホームランが乱れ飛んだ。

ちなみに1試合チーム9本塁打は昭和55年8月9日に阪急が、同年10月3日にはロッテが記録。以来、42年間も破られていない大記録である。(敬称略)

■小林繁伝119

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