小林繁伝

語り継がれる落球伝説「人の記憶はええかげん」 虎番疾風録其の四(117)

九回、巨人黒江の打球を転倒して捕球できなかった阪神の池田。二者が生還した=昭和48年8月5日、甲子園球場
九回、巨人黒江の打球を転倒して捕球できなかった阪神の池田。二者が生還した=昭和48年8月5日、甲子園球場

今でも阪神ファンの間で、昭和48年8月5日、阪神―巨人18回戦で起こった〝甲子園の悪夢〟を『世紀の落球』と思っておられる方は多いだろう。だが、本当は落球ではない。


◇8月5日 甲子園球場

巨人 000 001 002=3

阪神 002 000 000=2

(勝)倉田8勝4敗 〔敗〕江夏14勝9敗

(本)高田⑧(江夏)


1点を追いかける巨人は九回、1死一、二塁のチャンスをつかんだ。江夏が末次を二ゴロに打ち取る。二―遊―一と渡って試合終了? だが、二塁・野田が自ら一塁走者にタッチしにいき、末次を一塁に生かしてしまう。

2死一、三塁で黒江の当たりは中堅へのライナー。万事休す―。ところがこの打球を中堅・池田が目測を誤り、いったん前に出て慌ててバック。この時、芝生に足を取られて仰向けに転倒。打球はフェンスまで転がる三塁打となり二者が生還した。

「だから落球ではない。記録も三塁打。新聞記者ならそこを間違って後世の人に伝えたらあかん」と、筆者は虎番記者になってすぐ、〝師匠〟と仰ぐ平本渉先輩(故人)から教えられた。実は平本にも同じような経験があった。

昭和31年春、平本は広島商の「左翼手」としてセンバツ野球大会に出場した。4月2日の1回戦、広島商は岐阜商と対戦。1―1で七回、岐阜商の攻撃。1死後、岐阜商のエースで4番、村瀬が左翼線方向にライナーを放った。

平本は突っ込んで捕ろうと足を踏み出した。そのとき、前日の雨でぬかるんでいた芝に足を滑らせ転倒。打球はフェンスまで転がり、さらにカバーに入った中堅手がファンブルし三塁打。続く打者に右前タイムリーを打たれ、広島商は1―2で敗れた。記録は「三塁打」。だが、時がたつうちに「平本の落球」といわれるようになったという。

「人間の記憶とはええかげんなもんやな」と平本は笑っていた。

48年の「池田の転倒事件」が起こったとき、平本はトラ番記者だった。そしてその試合の記事を書いていた。

『ロッカールームから長い時間、池田は出てこなかった。

仲間たちへの申しわけなさと、大観衆の前で演じた醜態への恥ずかしさで、彼は押しつぶされそうになっていたのだろう』

それは31年、17歳の平本少年の「心」でもあった。(敬称略)

■小林繁伝118

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