伊坂幸太郎の小説『バイバイ、ブラックバード』で190センチ、200キロの大女が漫画「ドカベン」に出てくる白新高校のエース不知火を語る。「山田太郎をあれだけ追い込んだのは不知火しかいねえんだよ」。主人公が「村田兆治より凄(すご)いのか」と問うと、大女は「いい勝負だな。どっちもいい投手だよ」と答えた。
また女優は「時代の寵児(ちょうじ)、って一過性の存在、の別名みたいなものじゃない」「時代の寵児だったら、村田兆治のほうがいいよね」「五十歳過ぎても、一四〇キロ出してるんだから」と語る。付記しておけば同書は大切な人に別れを告げる作品で、決して『村田兆治物語』ではない。
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高倉健は村田の最後の登板を見て涙し、手紙を書く。自ら届けに行ったが不在で、ガレージの車に花かごを置き、手紙を入れた。村田夫人と帰宅し顚末(てんまつ)を知ったスポーツ紙の女性記者が事務所に取材を申し入れた。高倉は「男同士のなんというか、心のどこかにそっとしていたいことなんです」と直接、断りの電話を入れた。高倉は自著『あなたに褒められたくて』にこの逸話を記し「おれはどうしてこんなに偏屈なんだろう」「サービス精神も可愛(かわい)げもなにもない」と反省している。
後に高倉は映画『居酒屋兆治』で肩を壊した元高校球児の店主を演じた。通底するテーマは「不器用」だった。
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サッカーの日本代表はW杯初戦で、優勝4度のドイツを相手に逆転勝利を収めた。ゼップ・マイヤーやオリバー・カーンといった名守護神の系譜を継ぐ当代一のGK、マヌエル・ノイアーから奪った2得点は世界を驚かせた。
そのカーンには、こんな伝説がある。チャリティーイベントに呼ばれ、子供相手のPK戦で全てのシュートを止めてしまった。泣く子供らを前に彼は「相手が誰であれ私のゴールは許さない」と言い放ったらしい。
同僚が以前、離島で野球教室を開く村田に同行した。50歳を過ぎても140キロの速球で子供らに1球もかすらせず「本物を知ってもらうため」と話したのだという。
いずれも、プロの矜持(きょうじ)の武骨(ぶこつ)な発露といえた。
村田は引退後の生涯を離島の少年野球振興に注力した。村田が提唱した離島中学生の野球大会「離島甲子園」は平成20年に始まり、開催は13回を数える。村田の夢は大会から本物の甲子園出場校とプロ選手を生むことだった。
令和元年の対馬大会には奄美大島から奄美市選抜と龍郷町選抜の2チームが出場し、ともに4強入りした。
「一つになれば、必ず甲子園に行ける」。そう声をかけたのは大会を支援する木村竹志だった。旧名は石井毅。箕島高校で甲子園優勝投手となり、西武でも活躍した下手投げのエースである。
意を強くした奄美選抜の捕手、西田心太朗は「一緒に島に残って甲子園を目指そう」と龍郷選抜のエース、大野稼頭央を口説いた。大野と西田は大島高校でバッテリーを組んで昨秋の鹿児島県大会を制し、九州大会でも大逆転や引き分け再試合など劇的勝利の連続で準優勝を飾った。筆者はたまたま島に帰省中で、野球がどれだけ島民の心を沸き立たせるかを体感した。
大島高校は今春のセンバツ甲子園大会に出場し、大野は今秋のドラフトでソフトバンクに4位指名された。村田の夢の、見事な成就である。
離島甲子園は来年、本土復帰70年を迎える奄美で開催される。島の子供らに、村田が73歳のマサカリ投法を披露するはずだった。