令和人国記

漫画塾で地元の輪を元気に 長野県佐久市出身 「北斗の拳」原作者、武論尊さん 

地元を元気にしたいと話す武論尊さん=長野県佐久市(原田成樹撮影)
地元を元気にしたいと話す武論尊さん=長野県佐久市(原田成樹撮影)

漫画「北斗の拳」などの原作者として活躍する武論尊(ぶろんそん)さん(75)。出身地の長野県佐久市に寄付した8億円は奨学金として苦学生に給付され、同市内で5期目を迎えた「武論尊100時間漫画塾」では延べ80人が学び、17人がデビューした。仲間を笑わせるのが好きだった少年は、地元を元気にしたい気持ちに突き動かされている。

高校に行かず自衛隊に

生まれた岸野村(現在の佐久市)は山と田んぼです。ちょうど今頃は、稲刈りを終えた田んぼの南北に蓼科(たてしな)山、八ケ岳、浅間山がきれいに見えます。夏は川で泳いだり魚釣りをし、秋はイナゴ、アケビやキノコ、山菜を採って遊ぶ。勉強は嫌いだけど、友達と遊ぶために学校に元気に行く子供でした。

6人きょうだいの末っ子で家に田んぼは5反分(約5千平方メートル)しかなく赤貧でした。父は冬場は山で働き、子供たちは新聞配達で給食代を稼ぎました。小学校6年のときに父が亡くなり、母の苦労を見てきました。兄たちが授業料を払うといいましたが、かつかつで農業しながら高校に通うよりと、航空自衛隊熊谷基地の自衛隊生徒になりました。

空自ならきつくないだろうと思いましたが全然違いました。教官の中には特攻隊の生き残りもいて、スパルタで育った人たちですから同じようにやる。4年で卒業し、任官して福岡のレーダー基地で3年間勤めました。

天職に遭遇

同学年が大学を卒業するタイミングで一般社会に出て勝負しようと、退職金をもとにコンピューターの専門学校に入りましたが、友達にたかられたり食いつぶしたりで金が無くなり前期だけで自主退学。ぶらぶらしていたら、自衛隊生徒で同期の本宮ひろ志さんから本宮プロへ来ないかとなりました。それがなければ、今はありません。

漫画も描けず、黒く塗れと言われてもずる賢いからわざとはみ出す。もっぱら本宮先生らのマージャンや酒の相手をする日々。さすがに出版社の担当者が早く追い出そう、そのために仕事を与えようと原作を書くよう言われたんです。

やってみたら、面白いな、原稿用紙に書けと。それがデビュー作の「五郎くん登場」(週刊少年ジャンプに掲載)になりました。23歳か24歳で中卒で何も手に職がないから、そこで頑張るしかない。渡された資料をもとにアイドルの物語を書いたりして仕事が転がりだした。「天職」というか、異様に向いていたんですよ。この仕事が。

漫画の原作の才能とは、結局、噓をつく能力とうまくまとめる能力なんです。大風呂敷を広げ、それをきれいに畳んでいく。小中学校で周りを笑わしていましたが、少々話を盛ったりする話術や性格があったのかもしれない。

漫画塾では、「大きな良い噓をつきなさい」と言っています。小さい噓は噓ですが、大きい噓は想像がつかないから面白さになる。空想癖ですね。作家は自分の夢を書いているんだと思います。(北斗の拳のケンシロウのような)肉体的な強さ、精神的な強さは夢じゃないですか。

道さえあれば

漫画塾は、佐久市に自分のような奴がいるかもしれないと始めました。とくに漫画や原作は空想の世界なので、向いている人は道さえあればぽんっと開ける可能性がある。奨学金もやってみると、自分と同じ母子家庭が多いことが分かり、後付けながらやってよかった。いずれも仲間を中心とした地元の輪を元気にしたい気持ちからです。

作品をデザインしたラッピングバスやバルーンなどを見るのは、誇らしいというより照れますね。できれば経済効果や町おこしに表れてほしい。佐久市でも長野県でも、人からいい所ですねとか言われるとうれしい。そのとき、ああ自分は佐久市が好きなんだなと実感します。

(聞き手 原田成樹)

ぶろんそん 本名は岡村善行、別名に史村翔(ふみむらしょう)。昭和22年、長野県岸野村(現佐久市)生まれ。中学卒業後、航空自衛隊熊谷基地に自衛隊生徒として入隊。本宮ひろ志氏のアシスタントを経て、漫画原作者。代表作に「ドーベルマン刑事」「北斗の拳」「サンクチュアリ」。

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