葬送

京セラ創業者・稲盛和夫さん 「日本を救う」一念の人

京セラ創業者の稲盛和夫名誉会長お別れの会が開かれた=28日午前9時55分、京都市左京区の国立京都国際会館(鳥越瑞絵撮影)
京セラ創業者の稲盛和夫名誉会長お別れの会が開かれた=28日午前9時55分、京都市左京区の国立京都国際会館(鳥越瑞絵撮影)

経済界のみならず政治、学術、文化芸術、あらゆる分野の人々から師として慕われた。柔和な笑みをたたえた遺影の前にはこの日、一般の参加者も含め約3100人の弔問客が並んだ。

鹿児島大工学部を卒業後、昭和34年に27歳で京都セラミック(現京セラ)を創業。現在も半導体やスマートフォンの部品として使われるファインセラミックスを主力に、一代で世界的企業を築いた。

「私の経営の師だ。厳しいという人もいるが、優しい人だった。今はこういう人がいない。京都でも次の人が出てこないとダメだ」。日本電産の永守重信会長は偉大な経営者との別れを惜しんだ。

KDDIを設立し、携帯電話普及にも貢献。京セラ取締役退任後の平成22年には日本航空の経営再建のために現場復帰し、2年8カ月という短期間で東京証券取引所への再上場を果たした。当時、国土交通相として再建を依頼した国民民主党の前原誠司元外相は「晩節を汚す、と懸念する声もある中、日本を救うという一念で取り組まれた。いろんな人に影響を与えた方だった」と振り返った。

組織を小さなグループに分けて、厳格に収益管理する独自の経営理念「アメーバ経営」を打ち出し、経営者が学ぶ「盛和塾」では後進育成にも力を注いだ。

また、国際賞「京都賞」を創設して科学や芸術、文化の発展にも貢献。「人のため、世のために尽くす」という理念を体現した。22年に京都賞を受賞した京都大の山中伸弥教授は「私が『完走するペースを考えて頑張っている』と言うと『僕は違う。いつも全力疾走や』といわれた。私も残りの人生は全力疾走で頑張りたい」と故人に誓った。

令和4年8月24日、老衰により死去。享年90。(桑島浩任)

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