ゴォーゴォー。深夜、大きな風音で目を覚ました。宿を飛び出し高台へ向かう。すでに地元の人たちが数人カメラを構えている。眼下の街並みから山の方へと目をやると、奥に霧の端が見え隠れしていた。
瀬戸内海・伊予灘に面する愛媛県大洲市の長浜地区。県最大の河川、肱川の河口で例年10月~翌年3月の早朝に見られるという「肱川あらし」を撮りに訪れていた。
夜間、上流の広い盆地にたまった冷気と霧が翌日の早朝、強風に運ばれ川面に生じた霧とともに海へと流れこむ自然現象だ。条件は厳しく、見られるのは5日に1度ほど。前日が暖かく、朝冷え込む日に発生しやすいという。
カメラを手にしばらく待つが谷間の霧が動く気配はない。「今日は難しいかもしれないね」。そんなささやきも漏れ始めたころ、空が明らむとともに上空の雲が流れ、うっすらと月が姿を現した。すると、放射冷却が強まったのだろうか。上流にたまっていた霧のかたまりが、まるで巨大な生き物のように動き始め、街のシンボル「長浜大橋」をのみ込み大海原へと流れていった。
気づけば、3時間ほど続いた壮大な自然のショーに夢中でシャッターを切っていた。
山間を人間の肘のように曲がって流れることから名付けられたともいわれる肱川。古くから氾濫の多い「暴れ川」でもあったという。平成30年の西日本豪雨をきっかけに、一帯では護岸工事が進む。
長浜大橋の近くで生まれ育った松本久仁恵さん(81)は「中学生のころ肱川あらしに濡れながら通学したのは忘れられない。堤防工事で景色は変わっていくが、長浜大橋と肱川あらしだけは昔のまま」と話す。
地元にとって、シーズン最初の肱川あらしは冬の到来を告げる風物詩。小さな港町で本格的な冬支度が始まる。(写真報道局 萩原悠久人)