話の肖像画

元サッカー日本代表、セレッソ大阪社長・森島寛晃<25> 社長就任、クラブのスタイルを守る

社長就任後の記者会見で報道陣の質問に答える =2018年12月
社長就任後の記者会見で報道陣の質問に答える =2018年12月

<24>に戻る

《2018年12月、46歳で社長に就任した。打診を受けてから、家族をはじめ1993年のセレッソ大阪立ち上げ時に社長を務めた鬼武健二・元JリーグチェアマンらクラブのOBにも相談し、引き受けた。記者会見では「クラブ経営の経験もなく、悩んだがやらせてもらう決断をした。誰からも愛される、誇りに思われるチームにしたい」と決意を語った》


いやいや、それはいろんな人に相談させてもらいました。鬼武さんからは「そんなもん、簡単じゃないぞ」って言われました。その言葉はすごく勉強にもなりますし、アドバイスにもなります。いつも本音のところも言ってもらえますしね。なにせ、セレッソ大阪ができたときの社長ですから。鬼武さんがいなかったら、今のセレッソ大阪はないわけです。鬼武さんに何も言わずに社長は引き受けられないですよ。


《鬼武・元Jリーグチェアマンはセレッソ大阪の前身のヤンマーディーゼルサッカー部を監督として率い、黄金時代を築いた。日本サッカーリーグ(JSL)最多勝監督でもある》


今年は(東京・国立競技場で行われた)YBCルヴァン・カップの決勝に来られる話もあったのですが、腰がちょっと悪くなられて…。チェアマン時代のお知り合いの方もいらっしゃいますしね。ただ(ホームの)ヨドコウ桜スタジアム(大阪市東住吉区)での試合には、奥さまとよくお見えになっています。自分も大変お世話になったヤンマーの方と一緒に試合を見られていたりしますね。


《自身はセレッソ大阪では7代目の社長。それまでは親会社のヤンマーや主要スポンサーの日本ハム出身者で占められており、クラブの生え抜きとしては初の抜擢(ばってき)だった。ワールドカップ(W杯)に出場した選手の社長就任はJリーグ全体でも初めて。手探りで続けてきた社長業で感じたのは「クラブは生き物」ということだった》


こうやっていくと、必ずこうなる、という正解がないのがクラブ(経営)だと思います。でも、クラブが大事にしなきゃいけないものは、ぶれたらあかんでしょう。成績のいいときもあれば、悪いときもあるでしょうが、立ち返るところがあるかないかが大切だと思っています。

自分の選手時代は何度かタイトルまであと一歩のところまでいきましたが、そこで選手も監督も代え、また一からスタートしたことも多かった。すると、いいときと同じようにやろうと思ってもできなかったりするわけです。今はベースをしっかりして、そこから一つレベルアップしていくやり方です。これまでやってきた経験があって、競争があって、よければもう一つ上に行ける。ダメだったらベースに立ち返ればいいんです。監督をいきなり代えたり、強化を担う部署を代えたり、それによってやることがガラッと変わるのはよくないと思います。


《例えば選手時代の2005年に最終節まで優勝争いに絡みながら、翌06年はJ2降格。成績の乱高下が激しかった》


監督が代われば、多少なりともやることは変わると思います。現場の責任者ですから、采配であったり、処方箋であったり。そういうところが変わるのは当然でしょう。ですが、アグレッシブなサッカーをして選手が活躍する、入ってきた選手が競争して出番を勝ち取っていくといった部分は、誰が監督になっても不変だと思います。そういう人を監督に呼ばないかんと思います。


《たとえ監督が代わろうと、変えてはいけないクラブのスタイルがある》


それは、絶対に大事だと思います。(聞き手 北川信行)

〈26〉にすすむ

会員限定記事会員サービス詳細