最下層の武士から最高権力者にまで駆け上った山県有朋元首相は、「一介の武弁」と称していた。だがその実、趣味は和歌で、生涯に数万首を詠んだとされる。25日発売の月刊『ウイル』1月号のコラムで作家、中村彰彦さんが、山県が人の死を悼んだ哀傷歌を紹介していた。
▼中村さんによると山県は明治天皇と歌道で結ばれ、君臣相和していた。《天つ日の光はきえてうつせみの世はくらやみとなりしけふかな》。その天皇の崩御に際しての歌である。天皇と、和歌について語り合った思い出も詠んでいる。《大みことかしこみし日のみけしきの猶(なお)目の前にうかふかなしさ》
▼同じ長州出身の井上馨元外相の訃報に接すると、こう嘆いた。《語らむと訪(と)ひしを君は先たちて残る老か身たのみなき世や》。菅義偉前首相が、9月27日の安倍晋三元首相の国葬儀で自身の胸中に重ねて引用した山県の歌が思い浮かぶ。《かたりあひて尽(つく)しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ》