<特報>帰ってきたジャガー、歴史的勝利導いた浅野拓磨の不屈

ドイツ戦の後半、決勝ゴールを決め、ジャガーポーズで喜ぶ浅野拓磨=ハリファ国際競技場(村本聡撮影)
ドイツ戦の後半、決勝ゴールを決め、ジャガーポーズで喜ぶ浅野拓磨=ハリファ国際競技場(村本聡撮影)

【ドーハ=小松大騎】とびっきりの「ジャガーポーズ」で列島を歓喜させた。23日のサッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグのドイツ戦で、値千金の決勝ゴールを奪った浅野拓磨(28)。今年9月には右膝の靭帯(じんたい)を断裂する大けがをして日本代表入りが絶望視されたが、不屈の闘志でリハビリを続け、カタール行きの切符をつかんだ。7人きょうだいを育てた親への感謝、そして4年前に味わった悔しさ。すべてを右足に乗せ、歴史的勝利の立役者となった。

同点で迎えた試合後半、味方のロングボールを受けた浅野が豪快にネットを揺らした。興奮に包まれた競技場で両手の爪を立てるジャガーポーズを披露し、「思い切ってシュートを打った結果」と胸を張った。

浅野拓磨はジャガーのようである―。J1サンフレッチェ広島の公式マガジン「紫熊(しぐま)倶楽部」編集長の中野和也さん(60)は約9年前、広島に所属していた浅野の躍動感あふれるプレーをコラムでこう表現した。

当時の広島には、柔らかく俊敏な動きを見せる別のFWも在籍。中野さんがピューマと評したこの選手と比べ、浅野は「ごつく獰猛(どうもう)な感じがした」。ピューマより体格が大きいジャガーと名付けることにした。

それからしばらくして、サポーターからある現象を知らされた。「みんなが『ジャガー浅野』って呼んでますよ」。中野さん自身、コラムにそうつづったことさえ忘れていた。しかし浅野自身も、得点後にジャガーポーズを披露するように。やがてジャガーは代名詞になっていった。

三重県出身の浅野は7人きょうだいの三男。家計の負担にならぬよう、中学時代からスパイクはお年玉をためて買ったり、人から譲ってもらったりしていた。遠征費や道具代がかさむことを懸念し、強豪の県立四日市中央工業高校への進学を迷ったとのエピソードもある。

第90回全国高校サッカー選手権大会準決勝の後半、チーム6点目となるオウンゴールを誘発するクロスを上げる四日市中央工時代の浅野(中央16番)=東京・国立競技場
第90回全国高校サッカー選手権大会準決勝の後半、チーム6点目となるオウンゴールを誘発するクロスを上げる四日市中央工時代の浅野(中央16番)=東京・国立競技場

原動力は家族への思いだった。中野さんがプロ1年目の浅野にインタビューした際も「きょうだいが多くて経済的に苦しい中でも、自分はサッカーをさせてもらった。プロになりたいではなく『ならなあかん』と思っていた」と力強く語った。中野さんは「まさにハングリー精神の塊。どんな状況にもブレない心の強さを感じた」と回顧する。

この日のために

浅野にとってW杯は特別な大会だ。4年前のロシア大会では代表の最終選考で落選する憂き目に遭い、「練習パートナー」として大会に同行。複雑な思いと悔しさを味わった。

「4年後こそは」。鬱憤を晴らすようにカタール大会のアジア予選では主力として躍動。ただ今年9月に右膝靱帯を断裂するけがをした。浅野は自身の交流サイト(SNS)に胸の内をつづった。《人生ってほんとにいろいろあるな》。W杯出場が危ぶまれたが、懸命のリハビリを続け、26人のメンバーに滑り込んだ。

強豪ドイツ戦で決勝ゴールをぶち込み、一夜にしてヒーローとなった浅野。試合終了後、4年前の自分に思いをはせ、「その瞬間から今日のために全力で準備してきた」と静かに語った。大一番にひと際強い、ジャガーが帰ってきた。

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