乳がん患者の自分を取材し発信 北海道テレビの阿久津友紀さん

「日本の女性の9人に1人が乳がんになる時代。私も乳がんですが、元気に働いています」と話す阿久津友紀さん(酒巻俊介撮影)
「日本の女性の9人に1人が乳がんになる時代。私も乳がんですが、元気に働いています」と話す阿久津友紀さん(酒巻俊介撮影)

乳がん取材者から当事者になったテレビ人が、媒体の枠を超え情報発信を続けている。北海道テレビ(HTB)の阿久津友紀さん(49)は令和元年、左右の胸が同時に侵される希少な両側(りょうそく)乳がんと診断された。告知の日から自らを取材対象にし、働きながら治療。「乳がんを知らなければ、判断も選択もできないから」。正しい情報と「乳がんの今」を伝える。(飯塚友子)

番組やウェブ、本でも

 「おっぱい2つとってみた」の表紙
「おっぱい2つとってみた」の表紙

阿久津さんはHTBのディレクターとして20年近く、乳がん取材を続けてきた。学生時代、父は48歳で胃がんで亡くなり、就職後に母の乳がんも判明。家族として病と向き合いながら、若年性乳がん患者らを追ったドキュメンタリー番組を制作し、平成22年、科学技術映像祭優秀賞を受賞した。乳がんの早期発見を目指す「ピンクリボン運動」にも関わり、啓発にも努めてきた。

令和元年の健康診断で異常が分かると、告知の瞬間から自身をスマートフォンで撮影し始めた。「私は患者さんにカメラを向け、嫌であろうことも聞いてきた。自分が隠れるわけにはいかない」

番組にする当てはなかったが、治療方針で考えたことや家族や職場への報告、入院、手術、体の変化などを撮影。自身を追ったドキュメンタリーは最初、9分枠で放送されたが、反響が大きく、番組は30分、さらには1時間に拡大。その「おっぱい2つとってみた~46歳両側乳がん~」は2年、日本民間放送連盟賞で優秀賞を受賞した。放送と機をほぼ同じくしてHTBのウェブメディア「SODANE」に連載も始め、専門家や患者へのインタビューなど160回超をもとに今年10月、同名の本も出版した。

生きるための情報を

阿久津さんの番組や著作は、従来の闘病記とは随分と毛色が違う。

「罹患(りかん)して、参考になる番組がなかった。われわれマスコミの責任もありますが、がんを扱った番組や本は、『死』までの過程や〝遺(のこ)したもの〟を追うものが多い。でも『生きる』ために働かなければならないし、それには何が必要か、伝えなければいけないと思った」

治療にはお金も必要だ。手術後も働き続けるには、どんな選択をすればいいのか。乳がんはタイプも治療法も多様だが、納得のいく選択肢を見つけるために、ほかの誰かの参考になりそうなことは、「あくまで私のケース」という立場で著作につぶさにつづった。

特徴的なのが、本の随所に掲載されたQRコード。患者会の連絡先や参考になる統計などにアクセスできる。「本というアナログの入り口から、テレビ局の人間らしくネットや動画に飛べる形にしました」

バーチャル温泉で交流も

阿久津さんはウェブ連載やツイッター、音声SNS「クラブハウス」などで患者らと双方向の交流を続けながら、さらに活動の空間を広げた。

手術後の体の変化を気にして「温泉に入りにくい」という声に応え、インターネット上の仮想空間「メタバース」で、温泉に入りながら他の乳がん患者と交流する「ピンクリボントーク」を催している。

バーチャル温泉に入り、最新の入浴着について話し合う参加者。左端が阿久津さんのアバター
バーチャル温泉に入り、最新の入浴着について話し合う参加者。左端が阿久津さんのアバター

患者は好きなアバター(自分の分身を表すキャラクター)となりパソコン、スマホからアクセスし、一緒に好きな場所に行き、交流できる。VR(仮想現実)の世界をうまく利用し、つらい時間も社会とつながれる一例を示した。

阿久津さんは今年7月、東京支社に転勤。厚生労働省のがん対策推進協議会委員にもなり、国のがん政策に提言する立場になった。札幌と行き来する多忙な毎日だが、背中を押すのは連載の決まり文句「次の誰かのために…」との思いだ。

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