専用のハードウェアで実感できること
これまではソフトウェアによるエミュレーションを利用していたが、最近になって専用ハードウェアによるエミュレーションへと移行した。トランプ3箱分の大きさの小さな黒い金属製の箱に入ったコンピューターを買ったのだ。
この箱は、購入者が構成を設定できるFPGA(フィールド・プログラマブル・ゲート・アレイ)と呼ばれる集積回路を搭載している。つまり、姿かたちを変え、ほかのデバイスの特性を再現できる集積回路ということだ。
これは純粋にレトロマシンをシミュレーションするためのもので、コモドールの「Amiga」や「Commodore 64」、アタリの「Atari ST」、インテルのCPU「486SX」を搭載したDOS/Vマシン、そして購入者のほとんどのお目当てである各種ゲームプラットフォーム(「NEO GEO」や「ゲームボーイ」、アタリ「Lynx」などのゲーム機、さらにはDECのミニコン「PDP-1」用のゲーム「Spacewar!」までさかのぼって再現できる)も含まれている。
この箱型コンピューターは「MiSTer FPGA」と呼ばれている。消費者向けの製品ではなく、レファレンス用のプラットフォームとして開発されたものだ。パーツを買ってきて組み立てて、数種類のフリーソフトをダウンロードしてHDMIケーブルを差し込めば、“古いマシン”になる。このために人々は約600ドルを費やしているのだ。
高価なヘッドフォンやビンテージのレコード盤を集めている人が感じるような喜びを、この端末には感じる。よりリアルなものを手にしている感覚があるのだ。
端末の心臓部がすべてを再現している。半導体を半導体らしくしている小さな不具合や奇妙な挙動、動作のタイミングなどを再現し、ユーザーは記憶の通りにマウスを動かせる。
古いコードが現代の大きく鮮明なディスプレイで動く様子を見るのは超現実的だ。マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』で主人公がマドレーヌを食べて、昔の鮮やかな記憶を思い出す感覚と似ているだろう。ただし、この場合のマドレーヌは名店「Cinnabon」のものだ。
古いコンピュータのシミュレーションで技術の進歩を見ると、わくわくする。テクノロジー分野は過去を切り捨てがちだ。捨てられた古いマニュアルやディスクは、何千平方メートルもの土地を埋め尽くすほどになるだろう。
なぜ、人々はコンピューターの歴史にこんなにも無頓着なのか(Internet Archiveは別だ。古いマニュアルをすべてスキャンして保存してくれていて、とてもありがたい)。恥だと思っているのかもしれない。こうした歴史をつくったのは、あなたやわたしのような人たちである。ただ、わたしたちより少し年上で、いまよりずいぶん遅い開発環境で開発していただけなのだ。
文化とマーケティングとの違い
友人にミュージシャンがいる。欧州でDJをやっていたようなクールな人物だが、その友人とはシンセサイザーの話をよくする。シンセサイザーはキーが押されたときに音を出すという、なすべきことが明確なコンピューターと考えることができる。
シンセサイザー(あるいはシーケンサーやドラムマシン)には系譜がある。新しいモデルは前のモデルの遺産を継承する。人々は、カウベルはカウベルの音であることを期待している。シンセサイザーを買うことは、同じようなマシンを使ってきた数多くの人たちと自分の音を合わせ、ひとつの系譜に加わるということなのだ。これこそ文化とマーケティングとの違いではないだろうか。
シンセサイザーの愛好家が、70年代から登場したあらゆるマシンについて誇らしげに語る様子を聞いていると、正直に言って圧倒される。だが、破壊よりも継承を求めるサブカルチャーを観察することは興味深い。
どのマシンにも、すぐ使えるよう先代のエミュレーション版がディスクに収録されている世界が理想である。容量はたっぷりあって、何かを設定したり特別なデバイスを買ったりする必要もない。そうすれば、人類がどれだけ遠くまで来たか、そしてどれだけ変化がないかに誰もが気づくはずだ。
(WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)