父が語る鎌田大地の素顔③「結果で自ら道切り開く」

エクアドル戦でプレーする鎌田大地。結果を示し、周囲を納得させてきた=デュッセルドルフ(撮影・蔵賢斗)
エクアドル戦でプレーする鎌田大地。結果を示し、周囲を納得させてきた=デュッセルドルフ(撮影・蔵賢斗)

20日に開幕するサッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会で活躍が期待される日本代表MF、鎌田大地(26)=アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)=の足跡を、父親の幹雄さん(53)が語る連載の第3回は、欧州での戦い。J1のサガン鳥栖から海外へ渡ったが、出番に恵まれなかったドイツでの1年目、活路を求めてベルギーに期限付き移籍したころを振り返った。

鳥栖でJ1リーグ戦に初出場し、初ゴールを決めたのが、高校を卒業して1年目の2015年5月でした。家族からすれば早かったなという感じでしたが、本人に聞くと「遅かった」と。「やっと出られた」とも言っていました。

春先のキャンプから好プレーを見せ、練習試合でも得点を取って、自信があったんだと思います。当時J3にあったU―22(22歳以下)選抜チームに加わることもありましたが、鳥栖で活躍したいとの思いを強く持っているようでした。

最短で海外移籍をかなえる希望も大きかった。鳥栖に在籍した2年半の間に、J1の強豪クラブから移籍の話があったそうですが、全て断ったと聞いています。鳥栖から直接海外に行くことが、一番の近道だと考えていたのでしょう。

愛犬と写真に納まる鎌田大地(鎌田幹雄さん提供)
愛犬と写真に納まる鎌田大地(鎌田幹雄さん提供)

17年夏に移籍したEフランクフルトでも、試練がありました。最初の3試合は続けて起用してもらえました。しかし、その後はほとんど試合に出られず、紅白戦にも満足に参加させてもらえないまま、最初のシーズンが終わりました。

そんな1年を過ごしてから、期限付きでベルギーのシントトロイデンに移籍しました。試合を見に行ったとき、「ここでやれなかったら、サッカーをやめなあかん」と不退転の決意を語っていました。すごく危機感を募らせていたのです。必要なのは結果。「こだわらないと、海外はあかんなと思った」と強い口調で言ったことも覚えています。

京都・東山高の2年時に、加盟していたリーグで得点王とアシスト王となったときと同じように結果にこだわり、ベルギーでも公式戦36試合で16得点をマーク。自らの力で道を切り開きました。1シーズンでEフランクフルトに戻り、主力として扱われるようになりました。

海外でプレーする選手は、オフに古巣で練習することがあります。しかし、大地は鳥栖の練習には参加しません。ドイツで紅白戦に出られなかった経験があるから、自分が加わることで、選手が1人あぶれることを知っているんです。「だから参加しない」と聞きました。鳥栖時代に東山高の練習に行ったときも、二番手チームのGK相手にシュート練習したそうです。そのあたりは、繊細なのかもしれません。

大地はよく「自分は(司令塔の意味合いが強い)10番(タイプ)じゃない」と自己分析します。欧州チャンピオンズリーグで優勝を目指すチームの主力になるとの目標から逆算したとき、生きる道は「(攻守でバランス良く活躍するMFが多い)6番や8番」だと思っているのです。ときに泥臭く走り、ときに得点に絡む。そんなタイプの選手の最高峰の存在になる。必要な時は結果で周囲を認めさせながら、着実に目標に近づいていると思います。

いよいよW杯です。1日のメンバー発表は会社の会議室に行って、1人で見ました。選ばれてほっとしました。チームに求められることをこなし、貢献してくれることを願っています。

父親の幹雄さん(左)と自撮り写真に納まる鎌田大地(鎌田幹雄さん提供)
父親の幹雄さん(左)と自撮り写真に納まる鎌田大地(鎌田幹雄さん提供)

鎌田幹雄(かまだ・みきお) 昭和44年4月23日生まれ、53歳。鳥取市出身。鳥取東高から大体大。大学時までサッカー部でプレーした。現在は兵庫・尼崎市在住の会社員。

鎌田大地(かまだ・だいち) 平成8年8月5日生まれ、26歳。愛媛県伊予市出身。ガンバ大阪ジュニアユースから京都・東山高を経てJ1のサガン鳥栖入り。29年夏にアイントラハト・フランクフルト(ドイツ)に移籍。平成31年3月に日本代表初招集。昨シーズンは欧州リーグでチームの42年ぶりの戴冠に貢献。日本代表のキーマンとして期待されている。

(構成 サンケイスポーツ 邨田直人)

=随時掲載

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