ブラッド・ピットが見た奇想天外な夢

日本では9月1日に公開される『ブレット・トレイン』で主演を務めるブラッド・ピットに、小説家のオテッサ・モシュフェグが話を訊いた。ハリウッドのトップ俳優でありプロデューサーのピットが抱く野望は、われわれが想像するよりもはるかに神秘的なものだった。

ブラッド・ピットの寝室のベッドサイドのテーブルには、ペンと紙が常に置いてある。朝起きたらすぐ、見た夢のことを覚えているかぎり書き留められるように。「夢のなかで起きていることは、必ずしも自分の意識のコントロール下にはない。僕はそれにすごく興味がある。だから忘れないうちに書いておくしかないんだ」。彼は長いこと夢見がよくなかったという。その夢の内容は、のちに彼が送ってくれた電子メールによると、たとえばこんな。

「ここ4年か5年のあいだ、いちばんよく見る夢は刺し殺される夢でした。いつも夜で暗くて、僕は公園のなかや遊歩道を歩いている。『エクソシスト』に出てくるみたいな街灯の下あたりで暗闇のなかから誰かが飛びかかってきて、僕はそいつに胸を刺される。誰かにあとをつけられていると思ったら横にももう1人いて、絶体絶命。子どもといっしょに家じゅうを逃げまわったあげくべランダに追い詰められて刺し殺される。そうして恐怖のなか目が覚める。どうして夢のなかであいつらが僕を殺そうとするのか、わからない。でも二度寝して夢のなかへ戻って『なんでなんだ!?』っていっていたら、そういう夢は見なくなりました。それが1年か2年前のこと」

ブラッド・ピットならそんな夢にうなされても当然かもしれない。世界一の映画スターで、1作あたりの出演料は最高2000万ドル。プライベートでは、おそらく地球上でいちばん有名な夫婦のうちの1人ともなった。彼のような人間がパパラッチにつきまとわれずに外出することなど不可能だ。

ピットは現在58歳。ゴタゴタを経てアンジェリーナ・ジョリーとの離婚が成立してから6年経つ。彼女とのあいだには6人の子どもがいる。以前と較べるとあまり映画に出ていないし、いざ出ても、われわれの期待をわざとはぐらかすようなキャラクターを演じるようにますますなっている。最近の彼は映画プロデューサーとしての仕事に重きをおいていて、若手ライターのサポートや大物作家の原作の映画化の実現に精を出している。でも今回彼に会ってみて意外だったことに、人物の印象としてはアーティストっぽい。クリエイティブ人生の締めくくりのステージへ向けて、自らの進むべき道について考えを巡らせるアーティスト。「いよいよ自分がそういう時期に入ったと思っているんです。人生の最終学期。問題は、それをどうデザインして、どう生きたいか」

夢の意味するところを探ろうとしたのもその一環だったという。それと、自身の過去を見直すことも。「ここカリフォルニアあたりでは、『本来の自分』っていうのがよくいわれていますよね。でも、その『本来の』ってなんなんだと。自分の考えでは、これまで心に負ってきた深い傷と向き合える境地にいたることが、『本来の自分』になることなんじゃないかと思います」

ピットの隠れ家に、いざゆかん

ピットはロサンゼルス内外にいくつかの不動産を所有している。たとえばサンタ・バーバラ近くのビーチ・ハウス。ハリウッド・ヒルズのもう1軒、ガラスと鋼材とで作られたようなモダンな家。だが、パンデミックの期間のほとんどを彼はここ、ハリウッド・ヒルズにある通称クラフツマン・ホームで暮らした。壁はキャラメル色のシダーウッドで、1階の部屋にはビンテージ家具や興趣に富むアート作品が。全体はアーリー20世紀調で趣味よくまとめられており、これみよがしな贅沢品や明らかにそれとわかる家族写真は置かれていない。

ピットの出で立ちは、ゆったりしたカーキ色のトラウザーにダボっとした白Tシャツ。小麦畑のなかでなら迷彩服にもなりそうなニュートラルなトーンで、中西部あたりを思わせもする。空が大きい感じ。ピットはアメリカの中央に位置するオザーク高原地帯で育った。そのへんのことを語らせると、彼の話は空想混じりのものとなる。キッチンはアロマ・キャンドルの香りが漂っている。いそいそと飲み物を勧めてくれるピット。紅茶かコーヒーか水かジュースか。あと、お酒も。私は、お酒は要らない。ピットもこの6年ほどアルコールは口にしていない。2人とも水を選んだ。

「冷えているのがいい?それとも常温?」とピット。

冷蔵庫のなかを覗いてみたいので、冷えてるほうを。冷蔵庫には、ほとんどなにも入っていない。青白い電灯の光が見えるばかり。「僕の友達は、いまでは誰も冷えたのを頼まなくなっちゃって」。飲み物は常温で。なるほど、じつにそれらしい。この家の穏やかで静かな感じと合っている。

「ここは、ほかにどなたかお住まいですか?」と訊いてみる。

「いや」と即答。フレンドリーでありつつもキッパリした答えかたは、おそらく詮索されたくないからだろう。

「いくらか稼げるようになって最初に買ったのがこの家です。1994年」。ピットはこの家をカサンドラ・ピーターソンから購入した。コメディホラー番組/映画『エルバイラ』でエルバイラ役をやった女優だ。前の持ち主だった彼女によると、誰も住んでいなかった3階から足音が聞こえたことがあるということだった。あと、看護師の幽霊。いかにも昔っぽい出で立ちの老人が暖炉の近くに座っていたりもした。また彼女はマーク・ハミルから、彼が1960年代にこの家に住んでいたときのルームメイトが寝室のクローゼットで自殺した(ので引っ越した)話を聞かされたという。「買った当初はサイテーのヒドい状態で、何年間かは、友達を泊めたりはしても自分はあちこち飛び回っていたりとか。でも結局は自分でちゃんと手を入れて、いまではすっかりここに落ち着いちゃってます。隠れ家みたいな」とピットはいう。

パンデミック前あたりからは、ギターを練習するために早起きするようになった。朝、リビングルームへ降りてきて、暖炉の薪に火をつけたら、ギターをジャカジャカ。ここクラフツマン・ホームにいると気が楽だが、街を離れてビーチ・ハウスへ出かけていくのも、ちょっとした逃避行みたいで嫌いではない。「なんというか、重たい外套を脱ぎ捨てるような気分になるから」。海岸沿いからハリウッド・ヒルズへ戻るときは重たい気分になる。「肩にちょっと力が入っているからわかるんだ。その感じの正体が何者で、それとどう付き合えばいいのかは、まだよくわからない。とりあえず、家に引きこもっていないであちこち旅すればいいってことはわかってるんですが」

彼の友人によると、ピットは仕事に没頭しているときがいちばん生き生きしているという。大の親友の1人、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストであるフリーはこういっている。「なにかを創造しているときのブラッドは普通じゃない。特別なパワーを全開にしてくれる魔法の光みたいなものが出ているような感じになる」

ピットの映画製作会社プランBエンターテインメントは今年、ミリアム・トウズの小説を原作とした『ウィメン・トーキング(原題)』を公開する。キリスト教メノー派の女性たちが団結し、自分たちをレイプした男たちと戦う話で、監督はサラ・ポーリー。これまで手掛けたことのないタイプの作品で、ピットは燃えている。「2020年代で最高の映画になると思う」。それに加えて、ジョイス・キャロル・オーツの『ブロンド』の映画化という案件もある。原作の『ブロンド』はマリリン・モンローのプライベート生活を描いたフィクションの伝記で、監督はアンドリュー・ドミニク。ほかにもプランBエンターテインメントは、コルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』やチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』、マーク・ハッドンの『夜中に犬に起こった奇妙な事件』といった人気小説の映画化権を(確定またはオプションのかたちで)もっている。このあたりは、ブラッド・ピットの文字通りキングメイカーとしての一面といえる。

意識高い系映画プロデューサーで、俳優としてはますます役を厳しく選ぶ。でもそのいっぽうでは、タイミングが合えばヘンテコな超大作に喜んで出演したりもする。個人的なコネクションがある場合はなおのこと。たとえば、この夏公開されたデビッド・リーチ監督の『ブレット・トレイン』がそれで、ピットとリーチの関係は1999年の『ファイト・クラブ』以来のものだ。リーチがピットのスタントをやったことで2人は知り合い、リーチはその後も『トロイ』や『Mr. & Mrs.スミス』ほか、いろんな映画でピットのスタントをやっている。『ブレット・トレイン』で映画作りにおける2人の関係は新たな方向へ動きだしたわけだが、リーチによると、今回のコラボレーションはかつてなく自然な流れで進んだという。「『ブレット・トレイン』をやるにあたってブラッドと話したんだけど、彼がいうには、とにかくおもしろくて現実の憂さを忘れられるような作品にしたいんだと。それが第一目標。で、多くの人たちに、もういっぺん映画館へ来てもらいたいんだと」

『ブレット・トレイン』は安心して楽しめる夏の超大作だが、製作期間はパンデミックど真ん中と部分的にかぶっていた。「だから、スタジオの外は重たい空気に包まれていて」とブライアン・タイリー・ヘンリー。同作の主役の1人。「いちばん強く印象に残っているのは、ブラッドの笑い声です。世の中じゅうが疲れ果てているときに、あの笑い声でどれだけ気が楽になったことか。それに、あれは自分でもやりたくなる。つまり、伝染性があります。まさに名人芸で、必見というか必聴です」『ブレット・トレイン』で、ピットは殺し屋〝レディバグ=てんとう虫〟の役をやっている。燃え尽き症候群からの復帰一発目の仕事。東京から京都へ向かう列車のなか。大丈夫、やれる、と思っているのは本人だけ。そのキャラクターについてピットはこういっている。「1カ月間のセラピーを受けて、悟りを得るんです。なにもかもわかった気になって、前みたいなみじめなことにはもう二度と……みたいな。で、『もう大丈夫、俺はやれるぞ!』って」

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