主張

マスク氏とSNS 言論の自由はき違えるな

イーロン・マスク氏(ゲッティ=共同)
イーロン・マスク氏(ゲッティ=共同)

米ツイッターを買収した米企業家のイーロン・マスク氏が全従業員の半数近い約3700人の解雇に踏み切った。健全な交流サイト(SNS)づくりを担う公共政策チームの陣容も半減する。

マスク氏は、ツイッター買収の理由に「言論の自由の擁護」を掲げ、投稿削除などの規制を緩和する方針を示してきた。投稿監視体制の弱体化は、この方針に沿ったものなのだろう。

ツイッターに「暴力を扇動するリスク」を指摘され、アカウントを永久凍結されているトランプ前米大統領は、マスク氏による買収を「良識ある人の手に渡った」と歓迎していた。

買収後にツイッターの全取締役を解任し、ワンマン体制を築いたマスク氏だが、「言論の自由」をはき違えてはいないか。言論の自由とは、何を言っても構わないと無制限に野放しを認めたものではない。その権利行使には、相応の責任を伴う。

例えば日本国憲法は、保障する「自由」を「公共の福祉に反しない限り」と規定している。米通信品位法第230条は、SNS上で不適切な投稿があっても運営会社に法的責任は課さない一方で、投稿の削除やアカウントをブロックすることを認めている。

米国憲法修正第1条は表現の自由を制限する法律の制定を禁じており、法による干渉は検閲にあたるため、運営会社に真の自由を守るための自主的取り組みを求めたものと解される。

法による罰則がなければ、私企業はどんな報いを受けるか。

マスク氏の買収劇をめぐり、ツイッターは広告主を大幅に減らしているとされる。米食品大手ゼネラル・ミルズやユナイテッド航空なども広告出稿を停止したと報じられた。市民団体などが企業に広告停止の圧力をかけているとしてマスク氏は「彼らは米国の言論の自由を破壊しようとしている」と述べたが、これが自由社会における経営的な対価である。

メタ(旧フェイスブック)でも大規模解雇の予定が報じられ、アマゾン・コムやグーグルでも人員増抑制の方針が伝えられる。いずれも業績不振が理由とされる。

SNSが武器とすべきは開放性とともに信用である。排除すべきデマ、差別、犯罪助長などについての共通認識を、業界で明確に規定して公知すべきではないか。

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