(月刊「丸」・昭和42年4月号収載)
山本五十六長官機撃墜の任務を負い、目的地の南太平洋・ブーゲンビル島方面に近づき、思案する私の眼前で、不意に隊長機がグンとエンジンをふかして上昇にうつった。ハッとして時計を見る。九時三十三分。まさに定刻だ。前にはブーゲンビルの大きな島かげが立ちはだかる。
ただちに急上昇をはじめた列機につづいて、わが隊も上昇を開始した。ミッチェル隊は六千メートルの高空へ、そして私たち四機は三千メートルまで。山本長官のような貴賓を乗せるにあたって、酸素吸入というような厄介をかけないために日本のパイロットが選ぶ飛行高度は、たぶんこの三千メートルだろうと彼らは想定したのだ。