私は山本長官搭乗機の直掩だった(上)通いなれた〝ブイン街道〟2022/11/1 10:00有料プラン記事月刊「丸」あの戦争から今へ反応ガダルカナルの飛行場。のちに「ヘンダーソン」と名付けられた (月刊「丸」・昭和43年10月号収載)昭和十七年十一月一日、私は第二〇四海軍航空隊隊員となったのであるが、それ以来、ニューブリテン島・ラバウル東飛行場にあって、作戦行動に従事していた。そして、はやくも五カ月の月日がすぎ去っていた。昭和十八年二月当時、南太平洋でのわが方の戦況は、どうもかんばしくない日がつづき、日本軍はついにガダルカナル島から撤退を余儀なくされてしまった。そして、わが海軍の最前線であるラバウル基地が、いよいよ重大な意味を持つにいたりつつあったのである。