農耕祭祀(さいし)などに使われたとみられる弥生時代後期(1~3世紀)の銅鐸(どうたく、青銅製のベル)24点が出土した滋賀県野洲市の大岩山遺跡。遠くない距離にある、同時代の集落跡としては最大級の伊勢遺跡(同県守山市)では、大規模な祭祀空間とみられる建物遺構を確認しており、最終末の銅鐸とされる大岩山銅鐸は、時期や出現状況などから、伊勢遺跡で使用されていた可能性が指摘される。そんな大岩山銅鐸の大半や、関係資料などを集めた特別展「里帰り!日本最大の銅鐸 太古の響きを安土の地で」が滋賀県立安土城考古博物館(同県近江八幡市)で開かれている。その銅鐸が消滅するのは、邪馬台国の成立(2世紀末~3世紀初め)のころだったという。
時を経て大型化
銅鐸は筒状で裾(すそ)の広がった「身」に「鈕(ちゅう)」(つり手)を備えた青銅製の鋳物で、内側に「舌(ぜつ)」(振り子)をつり下げ、打ち鳴らして使うことが多い。その分布は弥生時代中期以降、近畿地方を中心に本州中西部、四国、九州などで、これまでに数百点見つかっている。大半は集落から離れた山の斜面に埋めた(埋納した)状態で出土している。