(月刊「丸」・昭和42年4月号収載)
山本五十六長官機にたいする捜索隊は、当日(昭和十八年四月十八日)午後五時ごろ、現場より約五キロ離れたところまで達したが、ジャングルのために進出がおくれ、現場到着は翌十九日朝となる見込みとなった。
私は南東方面艦隊軍医長とともに、さっそく長官機の墜落現場に馳せつけることになり、大笹幕僚付(下田在住)と従兵二名をともない出発の準備をしたが、当日の天候と、飛行機のつごうで翌十九日午前五時ラバウル(ニューブリテン島)発で、六時十五分にブイン(ブーゲンビル島)に到着した。