東京消防庁に内定を得ていた兄の勧めで専門学校在学中に試験を受け、昭和56年11月に中途入庁した。当時はマニュアル車だった緊急車両を巧みに操る先輩の姿に憧れ、平成2年からポンプ車や化学車を運転する機関員として活躍する。
刻一刻と状況が変化する災害に対応するため、機関員は隊員らを乗せ、1秒でも早く現場に着くことが求められている。ただ、地図では消火栓など活動に欠かせない「水利」があると記載されていても、たとえば、広い公園内では、実際にどこにあるのかが、分からない場合も少なくない。
このため、地図を手に、自転車で管内を回って、水利の位置を確認。ポンプ車といった大型車両が通行できるかや、時間帯によって通行量がどう変化するのかを、調べ尽くす。地図を眺めながら、どのルートをたどれば早く現場に着けるのかといったシミュレーションも重ね準備を怠らない。
消防官も転勤はあり、管轄地域が変われば、また、一から作業を積み重ねなければならない。地道にコツコツと…。機関員となって四半世紀を超えたベテランといえども、駆け出しの頃と同じように管内をくまなく調査。「勤務場所が変われば、1年生ですよ」と苦笑する。
こうして、たたきこんだ「情報」を基に、踏んできた災害現場への出動は2400件を超えている。努力が実り、迅速な現場臨場や送水活動で被害の拡大を阻止した事案は多く、消防総監賞や方面本部長賞も受賞してきたという。
そして、都民の消防官も受章した。「今後も機関員として受章に恥じないよう、職務に邁進(まいしん)していく」。59歳。定年まで残された時間は限られているが、最後の出動まで気を緩めず、同僚らと一丸となり、1つの災害現場を治める消防の縁の下の力持ちとして組織を支えていくと誓う。(宮野佳幸)
まつなわ・みのる 板橋区出身。昭和56年、東京消防庁入庁、平成29年4月から現職。妻との間に2男1女。散歩が好きで、休日には妻と一緒に玉川上水緑道まで出向いている。