(月刊「丸」・昭和48年1月号収載)
昭和十七年六月五日早朝、先行部隊の水上機が索敵のためミッドウェー島攻撃にさきだってその北東海面をさがしたが、行くときには米海軍の航空母艦群は残念ながら発見することはできなかった。
このころ空襲部隊は、ミッドウェー島の航空基地および陸上施設にたいし、第一次攻撃を敢行し、熾烈(しれつ)な地上砲火をうけながら有効な爆撃をした。攻撃参加の航空機隊の指揮官からひきつづいて第二次空襲の必要が報告されたので、空襲部隊の指揮官南雲忠一(なぐも・ちゅういち)中将は、ミッドウェー島にたいする第二次攻撃の準備を命令した。