シネマのまちのつくり方~なら国際映画祭

⑩終「ナラウェイブ」担当の理事 としおかたかおさん「映画人を育てたい」

なら国際映画祭の理事・実行委員を務める映像作家、としおかたかお氏(松本茂章氏提供)
なら国際映画祭の理事・実行委員を務める映像作家、としおかたかお氏(松本茂章氏提供)

第7回なら国際映画祭(本祭)は、9月17日から24日まで、奈良市内のならまちセンターなどで繰り広げられた。最終日の24日夜、同センターで審査発表が行われた。正装の審査員から各部門の受賞作が告げられ、若手監督らが舞台に立つと、満場の拍手が湧き起こった。

会場には関係者から贈られた花が並び、祝祭ムードいっぱい。理事・実行委員の映像作家、としおかたかお(本名・東司丘宇夫)が、「よく来ていただきました」と筆者を迎えてくれた。スタッフおそろいの黒いシャツを着込んでいた。

シネマのまちのつくり方~なら国際映画祭 ①若手監督を発掘、メジャーデビューへの道

200本以上を審査

筆者が、としおかに会うのは2021年10月以来。奈良で映画を撮影する「ナラティブ」プロジェクト『霧の淵』の出演者オーディションで、機材や演技に関する助言を繰り返す姿が印象に残っていた。

映画祭で、としおかは学生作品のコンペ「ナラウェイブ」に初回から関わってきた。「学生たちの作品は最先端。純粋に新しい映像をつくろうと懸命なので尖がっている」と述べた。

学生作品の募集は映画祭前年の11月から開催年の4月末まで。参加費無料で完成時に監督や主要スタッフが学生であったことを条件とする。大学、大学院、専門学校の卒業作品などが寄せられる。例年220本程度だが、22年は日本と海外34カ国から計257本が集まった。

「応募作すべては、まず僕がパソコンで見る。新しさ、表現力などをチェックして5点満点で採点し、優れた作品を他の選考委員に回す」そうだ。「22年は締め切り日に20本余りが届き、集中して大変だった」と苦笑した。

活躍する〝卒業生〟

選考の結果、22年は英国、フランス、中国、韓国、日本からの計11作品が上映された。最優秀賞「ゴールデンKOJIKA賞」には『明ける夜に』(監督・堀内友貴)が選ばれた。堀内は1997年生まれ。東放学園映画専門学校で学び、劇団を主宰する。

としおかは「ここから優れた映画監督が育っていく。大島渚賞の第1回(20年)と第3回(22年)の受賞者はいずれもナラウェイブに出品した若手だ。成長がうれしい。今回の出品者も将来きっと活躍してくれる」と目を細めた。

としおかは1954年に大阪で生まれた。大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校・大阪)の映画科1期生。首席で卒業後、専任講師などを務めた後、88年に退職して映像作家に転じた。劇場映画『-less(レス)』の監督・脚本、同『愛なくして』(監督・高林陽一)の撮影監督などを務めた。05年、ビジュアルアーツ専門学校・大阪に復職し、放送映画学科長に就任。定年退職した今も学生指導に熱心だ。

としおかは映画祭のユース部門で制作の指導も引き受ける。「若い人たちと出会い、新しい表現に接すると自らも刺激を受ける」と語り、「奈良という素晴らしい環境から映画人材を育てていきたい」と意気込んだ。

映画に賭けた青春

としおかは大阪市旭区で育った。父方の義理の伯父は元毎日新聞大阪本社の写真部長で、早期退職してプロの写真家に転じ、奈良の風景を撮影していた。「伯父宅を訪れるとたくさんの写真集がありワクワクした」。母方の祖父は宮内庁の絵師だった。芸術家が近くにいた家庭環境から、次第に映画に魅せられていく。

大阪府立清水谷高校の入学祝いに父から8ミリカメラを買ってもらい、高校1年から撮影する日々。しかし映写機は高価で自分では買えず、学校の視聴覚教室の機材を借りた。「高1の夏休みはアルバイトに励んだ。昼は郵便局で、夜は松坂屋百貨店のビアガーデンで働いた」

特殊なテープを用いてフィルムを切り貼りして自ら編集した。ストーリーをつくり、高安山(大阪府八尾市)の麓でロケ撮影を行った。しかし「素人では限界がある」と痛感。大阪写真専門学校に映画科が新設されると知り、願書を出した。

「大阪写真専門学校にはいい先生がたくさんいらして、勉強が本当に面白かった」と振り返る。映画『金閣寺』で文化庁の芸術選奨新人賞を受賞した映画監督・高林陽一が講師を務めており週1回来校した。

「高林先生には京都の自宅に招いていただいた。新しい映画作品が届くと、『どう思う?』と言って見せてくださった」。恩師として慕った。高林らとともに8ミリ映画を制作・上映する団体「フィルムリレーション」を結成した。

大映の録音技師、倉嶋暢(とおる)も同校講師だった。映画『大魔神』の特殊音響を担当したことで知られ、としおかに大映京都撮影所の現場を見せてくれた。としおかは「原田芳雄を見て『かっこいい』と思った」と回想する。「現場スタッフからアルバイトと勘違いされ、荷物運びを手伝った」と苦笑した。

脚本家の田辺泰志からはシナリオづくりを習った。こうして演出、撮影、照明・録音、シナリオづくりを現場の映画人から学ぶことができた。

映画祭の未来

映画人たちに育ててもらったからこそ、同映画祭・学生映像部門のナラウェイブは大切な取り組みだと考え、立ち上げから関与した。10年夏、ならまちにある国登録有形文化財の正木家住宅を借りて第1回を開催。「暗くして上映するため、窓は開けられない。蒸し風呂状態となり、7万円のクーラーを買って急きょ取り付けた」

その後、ならまちセンターの多目的室に移り、現在は三条通近くのエヴァンズ・キャッスル・ホールを会場とする。音響・照明の設備が整い、客席も階段状なので見やすい。

としおかが司会進行役を務め、出品した監督や主要スタッフをスクリーン前に呼び出して、制作の工夫や苦心を聞き出す。「ほかの監督や次に作品をつくろうとする若手の参考になるように質問する」と心掛けている。ナラウェイブの〝卒業生〟から、今でも「シナリオを読んでほしい」と依頼される。「実にたくさんの学生映画を見てきたことが、今になってみると、自身の勉強になった」

若いころは「こんな映画をつくってみたい」と夢見たが、費用面で難しく、断念したことが少なくなかった。たとえばアルバイトで200万円を貯めてもフィルム代や現像代ですぐに消えていった。「昔は1本失敗するとアウトだった」という。それが今では「デジタル化されて、費用をほとんどかけずにパソコンで編集可能に。アルバイトに費やした貴重な時間を制作に使える時代になった。今の若者は冒険ができる。僕らの世代が躊躇したところをスパッと飛び越えてくる」。

実行委員に加えて14年からはNPO法人なら国際映画祭の理事に就いた。同映画祭の未来をどのように考えているのか。「この映画祭は広告代理店が入っていない。多くの仕事はボランティアで支えられている。しかしスタッフが毎回交代するので、レガシー(遺産)が残りにくいことが大きな悩み」と打ち明けた。そして「いたずらに規模を大きくしないで、内容の充実した映画祭にしていきたい」と語った。

ナラウェイブでは、外国から日本の大学などに留学した監督志望者の応募が増えている。「飛び抜けないと留学した意味はないと感じているのでチャレンジする。短編作品を次々とつくって映画祭に参加し、資金調達のできるプロデューサーと出会い、長編作品をつくりたいと夢見る。対して日本人の学生たちは『卒業制作が劇場で公開された』ことで満足しがちだ」と述べた。

この潮流を受けて「映画祭のインターナショナルコンペに、新たに短編部門をつくってはどうか」と提案する。若い才能たちが一層、なら国際映画祭に引き付けられることを願っている。

=敬称略、おわり

(文化と地域デザイン研究所代表、松本茂章、写真も)

まつもと・しげあき 専門は文化政策、文化を生かした地域デザイン。日本アートマネジメント学会会長。全国紙記者、デスク、地方支局長を経て、県立高知女子大学教授、静岡文化芸術大学教授を歴任。22年5月から大阪市此花区で研究スペース「本のある工場」を主宰。主著に『文化で地域をデザインする 地域の課題と文化をつなぐ現場から』『ヘリテージマネジメント 地域を変える文化遺産の活かし方』(いずれも学芸出版社)など。

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