(月刊「丸」・昭和44年2月号収載)
大東亜戦争の開戦を明日にひかえた昭和十六年十二月七日、連合艦隊司令長官の山本五十六大将が坐乗する旗艦長門は、陸奥その他をしたがえ、ほとんど裸で明十二月八日早朝に決行される、南雲忠一(なぐも・ちゅういち)中将のひきいる第一航空艦隊のハワイ攻撃を支援する目的で、小笠原列島の線を西から東に横切り、まさに進出しようとしていた。
〝裸〟という海軍用語は、護衛艦艇を随伴しないことをいう。ふつう連合艦隊旗艦のような主力部隊の航行には、直衛の駆逐艦や前衛、後衛の巡洋艦、駆逐艦で守備を堅くして作戦行動するのが常例であった。