(月刊「丸」・昭和41年4月号収載)
昭和十六年、日米の国交はしだいに逼迫(ひっぱく)してきた。山本五十六元帥の連合艦隊司令長官の任は、いよいよ重きを加えてきた。私はその年の十月、戦雲ようやく濃くなりかけたころ、軍務局から霞ケ浦航空隊副長兼教頭に転出し、ついで大佐に進級した。かつて山本元帥が占められた椅子を、部屋もそのままで、十何代かをへて私が受けついだ。
私はなにか深い因縁があるように思われて、構内の一木一草にも残るそのころの愉快な思い出とともに、この職をたのしんだ。なにをなすべきかと、壁に対して眼をつむる。かつて元帥の副長時代も、この壁に対して沈思(ちんし)されたのだろう。対する壁は、無形の文字で解答をあたえてくれた。